「最期の1%の幸せ」
- 柴田 久美子さん/看取り士
- 島根県生まれ。日本マクドナルド勤務を経てスパゲティ店を自営。平成5年より福岡の特別養護老人ホームの寮母を振り出しに、平成14年に病院のない600人の離島にて看取りの家を設立。本人の望む自然死で看取る実践を重ねる。活動拠点を本土に移し、現在は岡山市で在宅支援活動中。新たな終末期のモデルを作ろうとしている。「死の文化」を伝えるための講演活動も行う。
http://mitorishi.jp/
私は、27年前から看取りの活動を続けてきました。
「看取り士」とは、余命宣告を受けてから納棺まで、ご本人やご家族の相談を受けて、医療や介護に携わる方々と連携しながら、その人の最期を看取る仕事です。旅立つ人と見送る人が「幸せな最期」を共有できるよう、そばにいてお手伝いをします。
皆さんは死を迎えるとき、どこで、どんなふうに過ごせたら幸せだと思いますか。おそらく多くの方が「住み慣れた家で愛する人たちに見守られながら、安らかに最期を迎えたい」という願いをお持ちだと思います。
かつての日本では、それが当たり前の死のかたちでした。生まれるときも旅立つときも、家族に見守られながら迎える。それが普通だったのです。
しかし現在の日本では、8割の人が「自宅で最期を迎えたい」と願っているにもかかわらず、実際には8割の人が病院で亡くなっています。
私が尊敬するマザー・テレサが残した言葉を紹介します。
「たとえ人生の99%が不幸だとしても、最期の1%が幸せであれば、その人の人生は幸せなものに変わる」
今の日本では、大多数の人が「最期の1%の幸せ」を叶えられずに亡くなっているのです。
皆さんは、死や看取りについて、どのようなイメージをお持ちですか。
「死はつらく苦しいこと」「死は不幸で忌まわしいこと」など、負のイメージを抱いている方が多いのではないでしょうか。
しかし、そうではありません。看取り士として、今までおよそ200人以上の方を看取ってきた私が断言できるのは、死は「命のバトン」をつなぐ場面であり、けして怖いものではない、ということです。
私たちは、両親から3つのものをいただいて生まれてきます。「体」「良い心」「魂」です。私たちは生きている間、さまざまなことを経験しながら、魂にエネルギーを蓄えています。体はいずれ死という変化で消えてしまいますが、魂に積み重ねたエネルギーと、良い心は、子どもや孫、そして愛する人たちへと、リレーのバトンのように受け渡すことができるのです。
作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんは「人は旅立つとき、25メートルプールの529杯分の水を瞬時に沸騰させるくらいのエネルギーを、縁ある人に渡していく」とおっしゃっています。
看取りとは、旅立つ人と見送る人の間で、エネルギーの受け渡しをする場面に立ち合うことです。旅立つ人にとっては、愛する家族や友人に命のバトンをつなぐことができ、見送る人にとっては、魂のエネルギーを受け取ることができるという意味で、双方にとって喜びと幸せに満ちた尊い時間なのです。
来年には、榎木孝明氏主演で映画『看取り士(仮題)』の上映も企画されています。一人でも多くの方の「最期の1%の幸せ」を叶えられるよう、これからも活動を続けてまいります。
(無断転載禁ず)