手仕事のほうきは、20年後へのプレゼント
- フクシマアズサさん/ほうき職人
- 1989年生まれ。大阪出身。筑波大学大学院芸術専攻クラフト領域で木工と手仕事を学び、2015年大学院を修了。同年、つくばのほうき職人・酒井豊四郎氏に弟子入りし、ほうき職人となった。現在は約700平方メートルの畑を耕し、種から育てるほうき作りを行う。「第15回 工房からの風」出展。
http://hoki-fukushima.net
私は、茨城県つくば市で座敷ぼうきを作る職人です。ホウキモロコシと呼ばれる材料を栽培し、手仕事でほうきを作っています。
茨城県つくば市の北に位置する大穂という地域は、明治中期〜昭和初期まで、ほうきの一大産地でした。私は現在もほうき作りを続けている職人さんから作り方を習って、職人となりました。現在は、地元の方から約700平方メートルの畑を借りて、草を育てて、ほうきを作る毎日を送っています。
ほうき職人となるきっかけは、大学院1年生の頃です。ゼミの取り組みで、現在の師匠である職人さんと出会いました。
なぜ、ほうき職人になろうと思ったのか。それは、師匠の作るほうきがとてもワクワクするものだったからです。ワクワクするほうき、なんて聞いたことがないかと思いますが、掃いたときの感触がとても心地良く、楽しくてどんどん掃きたくなる、という感じです。師匠のほうきは、身体が喜ぶほうきだったんです。
そんなほうきに魅せられて、ふと、「ああ、20年後にはもしかしたら、このほうきのない世の中を生きるのかなぁ」という思いに駆られました。ほうきだけでなく、昔の道具作りに携わる職人さんは、だんだん数が少なくなっています。20年後にワクワクするほうきがないのは寂しい。だから職人になろうと、この道に進んだんです。
今は、夏は畑で野良仕事をし、冬は畑の土づくりをしながら、日がな一日ほうきを作っています。身体を使う仕事は食べるものが大事ですので、季節になると甘酒や梅干しを作って、備えて。ぜいたくな暮らしですよね。
こんな暮らしをしていると、田舎出身で豊かな経験を積んできたんだろうと思われるかもしれませんが、実はそうではないんです。私の生まれは大阪の住宅地。コンクリート固めの団地に住み、両親は共働きで、ゆとりのない暮らし。放課後はテレビゲームで遊んでいました。家の掃除はもちろん掃除機。豊かな暮らしの記憶はほとんどありません。
そんな私だったから、大学時代の一人暮らしでは、何かに憑かれたようにいろいろやりました。
8畳1間の賃貸アパートでしたが、狭いベランダでトマトやゴーヤを育てたり、土鍋でご飯を炊いたり、コンロで燻製を作ってみたり、砥石で研いだ鉄包丁を愛用したり、麦わら帽子を作ったり。
暮らしの豊かさに飢えていた、その反動だったのでしょうね。買うよりもかえって時間もお金もかかることばかりでしたが、このときに遊んだことが、草を育ててほうきを作るという、今の生き方につながっています。
私がほうきに願っていることは、日常の余白。つまり“あそび”です。掃除機は的確にチリを吸い取って部屋をきれいにしてくれますが、ほうきは掃くこと自体が心地良い。ほうきを通じて、日々の暮らしに潜む楽しみを伝えたいんだと思います。
もちろん、自然素材による手仕事品は、使うのも保つのも手間がかかります。だからこそ、「手間をかけること自体が楽しい道具にしていかなきゃ」という気持ちで、ほうきを作っています。
20年後の時代への、プレゼントとなるように。
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