電気パンが広げてくれた世界〜理科実験・軍事技術・パン粉〜
- 内田 隆さん/東京薬科大学 生命科学部 准教授
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電気パンって何?
オーブンやホットプレートを使わずに、パン生地に直接電気を流してつくる(まるで感電)、通称「電気パン」を知っていますか?
パン生地に電気を流す背徳感、スイッチを入れる瞬間の緊張感、完成を待つ高揚感、そして、できたパンを食べる満足感。この電気パンは「調理実習」ではなく、パン生地に電気が流れる理由や化学反応や電力量などを学ぶ、れっきとした「理科実験」なのです。
新米教師だった私と電気パン
1980年代、教師たちは子どもたちの理科離れを止めたい、知識を詰め込むのではなく、ゆとりある時間の中でさまざまな経験をさせて考える力を育てたいと考え、科学の理論や法則を楽しく学べる教材・実験の開発をすすめ、その中の一つに電気パンの実験がありました。90年代に高校教師になった私は、質の低い授業しかできずに悩んでいたときに電気パンと出合い、生徒が学んだ知識や法則と日常生活を結び付けて考え、科学の面白さを実感できる授業を工夫するようになりました。
大学で教員養成に関わるようになり、先輩教師たちの思いや努力を次世代に語り継ぐ必要性を感じ、その題材としてまず電気パンを選びました。授業を見直すきっかけをくれた思い入れのある実験だったからもありますが近年は学校の実験室でつくったものを食べることは避けられるようになり、廃れつつあったからです。
電気パンが理科の実験になるまでの過程を調べ始めると、さらに奥深い背景・歴史に出合いました。
戦時中の陸軍炊事自動車から終戦後の電極式炊飯器・電気パンそして現代のパン粉へ
食品に直接電気を流す調理法が最初に実用化されたのは、お米を入れた水に電気を流してご飯を炊く電極式の炊飯器です。戦場で炊飯するときにかまどの煙で敵に見つからないように、また、車で移動しながら車中で炊飯できるように、1937年に陸軍の炊事自動車に搭載されました。終戦後には家庭用に改良され「タカラオハチ」「厚生式電気炊飯器」などが販売されましたが、あまり普及しなかったようです。
一方で、終戦直後はお米や薪は不足していたものの、援助物資として得た小麦粉がありました。そこで、木箱の内側に2枚の金属板(電極)を取り付けたパン焼き器を廃材からつくり、小麦粉・重曹・水を入れ、天井の電球のソケットから電気を引いてパンをつくる家庭が増え、全国に広まりました。
終戦後の食糧難で苦しんでいた人々が苦肉の策で生み出した電気パンでしたが、高度経済成長期には忘れ去られていました。しかし、約40年後に理科離れ対策の実験として生まれ変わったのです。終戦当時の子どもたちがベテラン教師として活躍していたことも影響しているでしょう。
現在、電気パンはとんかつやコロッケ用のパン粉製造で活躍しています。直接電気を流す電気パンは、オーブンよりも熱損失が少ないので省エネですし、表面に茶色の焦げがない蒸しパンのようなパンになるので、均一な白いパン粉ができます。
省エネ・均一は工業製品として理想的で、パン粉の約半分が電気パンから製造されて世界中に普及し、PankoはSushi、Karaokeと同様に英語になっています。NHK WORLD‐JAPAN『おいしい東京』パン粉編で製造工程が紹介されていますので、ぜひ見て下さい。
電気パン・電極式炊飯器の体験談を聞かせてください
電気パンについて調べたことを『電気パンの歴史・教育・科学』にまとめて出版でき、先人の功績を未来につなぐバトンの役割を、少しは果たせたかなと思っています。
調査を通して、終戦後の荒廃した中で廃材から電気パンの装置をつくってしまう日本人のたくましさや科学的素養の高さを発見できた喜びは大きく、現在は、次の題材を何にしようかなと思いを巡らせています。
みなさんも、身近な高齢者の方に電気パンや電極式炊飯器の体験談を聞いてみませんか。歴史の一端を感じるだけでなく、終戦後の日本のイメージが変わると思います。そして、その体験談や情報を私にも教えて下さい。語り継いでいきたいと思います。
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