私の手控え帖 〜名品に触れ、魅力を描き残す〜
- 田端 志音さん/陶芸家
- お問い合わせ先
志音窯
https://shiongama.com/
同時代を生きている先生には習えず
私が陶芸を始めたのは44歳の時。やりたいと思ったことはすぐに始めたい性分で、陶芸に関してもすぐにでも先生に教えを乞いに行きたかったが、ちょうど娘たちが大学、高校の受験を控えたころで、時間的にも経済的にも余裕がなく、どこかに習いに行くことは叶わなかった。ろくろのひき方も素焼きの方法も分からぬまま、「作りたい」という衝動だけを携えて動き出した。
それまで大阪の古美術商に勤めており、茶陶の古美術品について多少の知識はあった。職場で美術品に触れる機会に恵まれ、器に対する憧れが増幅していた。
そこで、実際に見て触れた感覚を頼りに試行錯誤しながら、設備を少しずつ整え、焼いてみれば全て失敗ということを繰り返し、失敗から学びながら少しずつ形にしていった。
欲しい、だから作る
もともと古美術が好きで勤めていた古美術商。そこには見るもの触れるもの、欲しいものが山ほどあり、もちろんそれらの古美術品を買う余裕などない。
子どもの頃から、欲しいものは自分で作るということをしてきた。若い頃はすてきなデザインの洋服を見るとスケッチして帰り、それを基に自分で縫って着ていた。子どもたちが流行っているキャラクターのTシャツが欲しいと言えば、無地のTシャツにそのキャラクターを描いて着させていた。おいしいものを食べた時も、また食べたいからレシピをメモして作ってみる。
自分で作ればお金を掛けなくても自分の欲しいものが手に入る。単純にそう思っていた。だから当然、古美術に関しても、「欲しい」「では、作ろう」と思ったのだった。
物質への執着は捨てるが吉という風潮の昨今であるが、振り返ると私の原動力は常に物質に対する欲求だった。
古美術から学ぶ楽しさ
古美術をまねるというのは、難しいだけに面白くもある。
誤解を恐れずに言ってしまうと、同じ時代を生きている人に学ぶのは限度があるが、古美術には学べるものが際限なくある。そして相手に気を遣うことなく、遠慮なく自分の好きなものを選べる。
例えば、書を学ぶ時も古典から学んだ。かな文字は小野道風の継色紙(つぎしきし)や藤原行成の升色紙(ますしきし)、漢字は空海の風信帖からといった具合に、最高に好きな書を選び、好きな時間に好きなだけ学べた。
陶器も基礎が分かるまでかなりの遠回りをしたが、それでも好きなものを自分で選び、作者を勝手に師と仰ぎ、好きなだけ探求し学ぶことができた。
良いものを見なければ良いものは作れないので、今でも美術館が一番の遊び場だ。
写し絵とともに特徴を書き留める・手控え帖
古美術商に務めていたころ、湯木美術館設立までの準備に関わらせていただいた。料亭・吉兆の創業者で、湯木美術館の初代館長である故・湯木貞一氏がまだご健在だった時で、長年にわたって集めてこられた古美術の名品を美術館に収めるということだった。私はその名品の数々を整理する作業を手伝わせていただいた。たくさんの名品に実際に触れることができる貴重な時間だった。当時はまだ携帯電話などなく、それで気軽に写真を撮るなどということもなかったため、自分の備忘録として手描きで資料を作った。
その後も名品を拝見するたびにスケッチさせてもらい、メモ描きを残してきた。近年では、野村美術館の所蔵品を系統的に描き写させていただき、本にして残すということをさせていただいた。記録として残した二次元の絵から、三次元の陶器に再現して、『本歌と写し』という展示会も開催した。
美術館の所蔵品を描き写す際には、同じものを2部ずつ描いて、1部は美術館に寄贈する。2部描くことで 自分の中にしっかりとその作品の姿形を焼き付けることができる。
今、また別の美術館から所蔵品の拝見を許され、模写している。楽しみは際限なく続いている。
やりたいことがいっぱい
50代、60代の頃には、毎日を精一杯生きているのだから、今日明日に命が尽きたとしても私には悔いはないと思っていた。
しかし70代になって、さらにやりたいことや挑戦したいことが増えてしまい、自分の欲深さにあきれている。自分のやるべきこと(私の欲望や願望を、私が叶えるということ)が見えてきて、それをやり残して死ぬわけにはいかないと思うようになった。
もう70代も後半、健康を維持して、やりたいことは全てしていきたいと思う。いつまで健康でやれるか、毎日の心掛けが大切になると思う。現在、良い環境で好きなことをさせていただいているので、ワクワクしながら最後までやれそうな気がしている。
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