子どもの遊びから文化へ 広がるヨーヨーの輪
- 長谷川 貴彦さん/プロヨーヨーパフォーマー
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ヨーヨーショップスピンギア
https://spingear.jp/
はじめに
子どもの頃、誰でも一度は遊んだことがあるヨーヨー。一時期は熱中しても、大人になるにつれて触らなくなる子どもの遊び。そんな子どもの遊びに、一生を費やしていくとは、子どものときは想像もつかなかった。
ヨーヨーとの出合い
スケバン刑事Ⅱというドラマを見て、南野陽子さんの魅力に引き込まれつつ、自然とヨーヨーを手に入れて遊ぶようになる。当時はひもが鎖のものも出回っており、技をするというよりは、なりきりグッズとしての側面が強かった。ヨーヨーを投げ下ろす基本ばかりを練習していた。駄菓子屋で買った鎖ではない普通のヨーヨーをひもが切れるまで遊んで、しばらく遊ばなくなってお小遣いが貯まったら買う、を繰り返していた。今では当たり前だが当時はひもが交換できるという認識がなく、切れたら終わりの遊びだった。
戻ってきたヨーヨー
再びヨーヨーに出合うのは1997年の大学3年生のとき。バンダイが輸入したハイパーヨーヨーが一大ブームになった年、就職活動の参考にと訪れたおもちゃショーで見つけ、その日のうちに購入。子どもの頃好きだったヨーヨーが進化しており、一気にのめり込んでいった。体が覚えていた基本動作があったおかげで上達は早かった。
ヨーヨーが人生を変える転機となったのは、人生の師匠ともなる米国人のヨーヨーチャンピオン、デール・オリバー氏との出会いだった。としまえんでのショーを観客として見に行った際に、ステージに上げてくれ、その日のディナーを一緒にすることができた。その時に「子どもたちはブームでヨーヨーに熱狂するけれど、いつか忘れる。君は大人になってヨーヨーをしているから、続けていってほしい」。
プロとして40年近くのキャリアを経た言葉の重みを感じて、「次の世代にこの遊びを伝えていきたい」というバトンを受け取ったと同時に、ヨーヨーで生きていくという道筋を見せられた気がした。
ヨーヨーを広める活動
一度は就職するものの、ヨーヨーに対する熱意を抑えられず、デール氏を招聘(しょうへい)していた輸入雑貨の会社でヨーヨーに関わるようになった。周りの大人たちからはブームは終わるのだから無謀なことだと止められた。
ヨーヨーを根付かせるため、子どもの頃にヨーヨーを続けられなかった原因の、遊び方が分からない、ひもが手に入らないということを解決するべく行動を開始した。
ヨーヨー友の会を立ち上げ、全国に練習会というフォーマットを作り、広げることで遊びの知識を共有してモチベーションを保っていくという環境を作った。そして、仲間たちと合宿を行い最終的には全国大会を立ち上げていった。また道具の問題は通信販売を始めたことにより、ブームの終焉(しゅうえん)とともに地元のおもちゃ屋でひもが手に入らなくなった子どもたちと繋がり、続けたい人たちをサポートできる環境をつくっていった。
ヨーヨー世界大会
仲間の輪が広がっていく中で、さらに転機となったのは2002年の世界大会での優勝。チャンピオンという肩書がついたことで活動の幅が一気に広がる。2度目の優勝をした2005年には、映画化されるスケバン刑事の技術指導と監修という夢のような仕事も舞い込んだ。スケバン刑事で始まったヨーヨー人生でその作品に関われるようになるとは。
2011年に独立。私が世界で初めて成功させた二つのヨーヨーを片手で操るオリジナル技「そろはむ」を社名に、会社を立ち上げた。
2015年には夢の一つだった日本での世界大会の開催も成功した。ブームが来ては消えていく遊びからようやく、ブーム後も残っていく遊びになったと実感できた。
当時の子どもたちは今では大人になり、ショップやヨーヨーメーカーを立ち上げ、気がついたら「業界」ができており、数十人の人たちがヨーヨー専業で生きていける状況になった。
「ヨーヨーは誰でも一度はする遊びだけれど、一生続けても楽しい」、それが当たり前になるようにこれからも活動を続けていきたい。
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