ウイルス除けと福を呼ぶ「赤べこ」
- 石田 明夫さん/一般社団法人 会津歴史観光ガイド協会 理事長
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赤べこ発祥の地
いまだ終息しない新型コロナウイルス。福島県の会津地方には、ウイルス除けにご利益があり、福を呼び込んでくれる郷土玩具の「赤べこ」がある。
「ベこ」とは、会津地方の方言で「牛」を表すもので、「赤牛」のことである。赤べこは、赤色の牛を基にしたもので、胴体と首が糸で結ばれている。そのため、頭に触ると自由に頭が揺れ、愛嬌(あいきょう)がある。胴体には、疫病退散、ウイルス除けの黒の斑点が描かれている。
会津若松市から西へJR只見線で約1時間、国道252号を車で約40分の所にある柳津(やないづ)町に、福満虚空藏菩薩圓藏寺(ふくまんこくぞうぼさつえんそうじ)があり、赤べこ発祥の地として知られている。
虚空藏菩薩とは「宇宙のように限りない福徳と知恵を持つ菩薩」。奈良時代から平安時代前半の都で、貴族から庶民まで「自然知恵の会得、記憶力を授かろう」と信仰されていた。また、戦国時代、会津の領主だった上杉景勝も信仰し、関ヶ原における豊臣家の戦勝祈願をしている。
門前には、36の宿坊があり、今でも塔ノ坊(あづまや)、月本坊(月本旅館)が旅館として残っている。
赤べこの誕生
福満虚空藏菩薩圓藏寺の本堂は、慶長16年(1611)8月、会津で死者約3700名を出し、鶴ヶ城の天守閣も傾いた、慶長会津大地震で倒壊した。そこで本堂を建て替えることになった。
『揚津秘録』には、「元和3年(1617)(当時領主の)蒲生(がもう)秀行の室(家康の娘で三女振姫)殿堂(本堂)建立、其時の別当住持有栄和尚也」とあり、『会津鑑』には、「夏秀行公夫人 大殿復興 大殿本 岩下ニ在 楼而ニ 洪水難有故ニ 岩上ニ岩ニ遷ス 岩ニ刻シ為 階高百余級」、「元和3年、(柳津)塔堂並び塔寺邑観音堂建ツ本願法界上人」「元和2年コトハジメ同3年成」と記載されている。
秀行の父は蒲生氏郷で、母は織田信長の娘冬姫である。家康の娘で秀行夫人が堂の再建に関わった。
伝承によると、堂を再建する時、堂のすぐ下を流れる只見川から材木を運び上げるのに苦労していると、どこからともなく赤い毛をした赤べこの群れが現れ、材木運搬を最後まで手伝い、堂が完成するといつの間にかに去っていったという。
福満虚空藏菩薩圓藏寺は、「丑と寅年」生まれの守り本尊になっていることから、赤べこが虚空藏菩薩の使いとされ深く信仰されるようになる。
会津の赤べこは、第二次世界大戦後の昭和期まで会津にいた「朝鮮べこ」と呼ばれた赤牛で、豊臣秀吉の文禄・慶長の役で大陸から連れてきた働きものの赤牛のことである。今でも熊本県と高知県で飼われている。
疫病退散を願う
福満虚空藏菩薩圓藏寺は、法相宗の高僧徳一大師が大同2年(807)に建てたとされ、茨城県の日高寺、千葉県の清澄寺とともに日本三所の虚空藏菩薩の一つといわれている。13歳に寺にお参りすると知恵と福を授かるとされる「十三講詣り」をする霊場として今でも信仰され、赤色は疫病を振り払うと信じられたことから赤べこの玩具が広がったのである。また、体の悪い部分を赤べこの体になぞらえなでると悪い部分が良くなるとされている。
赤べこの胴体に描かれた黒い斑点は、ウイルス除けのしるしである。江戸時代、会津若松城下で天然痘ウイルスが4回大流行しているが、正徳3年(1713)に発生したものは、終息まで3年かかったという。その時、自分の身代わりとして、赤べこに天然痘にかかったような黒いしるしを描いたところ、天然痘ウイルスにかからなかったということから、赤べこが広まったとされる。
また、柳津町には、浅間山が噴火した天明の大飢饉(ききん)(1783年)の時、米を福満虚空藏菩薩に納められず、しかたなく粟を納めたら飢饉が収まったことから、「災難に遭わ(粟)ないように」と「粟饅頭」が誕生し、土産の定番となっている。
赤べこと粟饅頭。一日も早い疫病退散・災難終息を願っている。
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