『世界に伝える三十一音の韻律』
- 北久保 まりこさん/歌人・朗読パフォーマー
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亡母が命にかえてくれた切っ掛け
和英短歌朗読を通して国外に短歌を紹介しようと思いたったのは、作歌を始めて12年ほどたった2005年。早いもので今年は14年目、140回の活動をしてきた。
切っ掛けは、女手一つで私を育ててくれた母がくも膜下出血で急逝し、その供養にと編んだ第三歌集WILL(角川書店)である。シドニー在住の英文歌人A・F・氏が、その内容に心を動かされ、自身の出版記念会で私に朗読をしてほしいと申し出たのだ。
2005年9月、オーストラリア、キャンベラの聴衆を前に、第1回目の和英朗読が緊張の内に終わり、拍手に包まれた。そして、一人の美しい老女が、目を輝かせてこう言ったのだ。「あなたの国の言語はまるで音楽のように美しいわ!」言われてみるまで、全く気が付かなかった。このうれしい驚きが、その後、私をつき動かす原動力となった。日本の文学に関心を寄せる人たちでさえ、松尾芭蕉や正岡子規を翻訳でしか知らない。ならば、せめて一度でも良い、彼らの耳に万葉の昔から受け継がれてきた独特の韻律を届けようと心に決めた。
幸せな出会いが出会いを呼び、翌2006年はカナダで、2007年はアメリカで、という具合にあちこちから依頼が舞い込むようになった。訪れたのは世界34都市、オーストラリア、カナダ、アメリカ、フランス、スイス、タンザニア、インドの国々である(2018年1月現在)。
永遠の目標
国籍、宗教、年齢、性別によらず共感できるテーマで構成した30首前後を、自らの楽器演奏を交え、間を取りながら2カ国語で朗読する。これまで、万葉集から挽歌や恋の歌、自作から平和への願いを詠ったものなど普遍的な作品を選んできた。
〈黒髪に白髪交じり老ゆるまでかかる恋にはいまだ逢はなくに〉大伴坂上郎女.万葉集
〈古里のせせらぎの音を思ひゐつストロンチウム沁むる胎盤〉著者第六歌集INDIGO(SHABDA PRESS社)…こちらは原発事故後に詠んだ歌である。
永遠の目標は、私という《個》の存在を離れ、魂から魂へ思いを伝える《媒体》になりきること。命を宿した言葉を聴き手に届けられるよう、生涯精進を重ねたい。
短歌への恩返し
短歌には、苦しみや哀しみといった負の感情を昇華し、書く者を癒やす力がある。そのおかげで母の最期を看取るまでの17日間、私は己を保つことができた。突然に倒れて植物状態となり、ICUに運ばれた母の枕元で、私は来る日も来る日も、呼吸するように短歌を書き続けた。
〈肌寒き朝に気付きぬ 母にもうこの次の夏は無いと言ふこと〉著者第三歌集WILL
〈伝へたきもの溢るるや十日余を眠りつづけし母の目がしら〉著者第三歌集WILL
亡きあとの諸々の手続きは、私独りで行った。それぞれに余裕を持たせた期限が設けられてはいたが、書類は1つや2つではない。休む間もなく不慣れな作業を次々に熟(こな)さなくては間に合わなかった。泣いている暇などなかったのである。
全てを無事に期日内に終え、ほっと息をついて思った。「そう言えば朝から何も食べていなかったなあ」。東京・青山にしては古風なそば屋へ入り好物のざるを頼んだ。しかし濃い茶色をした汁には、コンソメスープほどの薄い味しかなかった。別の客は文句を言うでもなく、談笑しながら食べている。疲れていたし面倒だから、しょうゆを加え調節して食べた。が、終わるころになって思った。変なのは店ではない。私の舌だ!これが世に言う、味覚障害か?
それからは進んで体を休め無理をせず、心に降り積もる思いを歌に詠んで日々を過ごした。幸い大事には至らず、程なく私は正常な味覚を取り戻した。こうして支えてくれた短歌を、世界に紹介して歩く「朗読の一人旅」は、私なりの恩返しなのである。
〈もう五年経つんですね柚子切りの蕎麦をすすれる亡母とゐた席〉著者第六歌集INDIGO
郷に入っては
私の信条は、要望を押し付けず相手に合わせることだ。海外で我を通そうとすれば、私個人のみならず短歌自体が、自分本位で厚かましいものという印象を与えかねない。
時には努力を要する場面もあった。大半の国で問題なく通じる英語の朗読が、一部の国、例えばスイスのドイツに隣接する地域などでは通用せず、朗読のたびに特有の発音に変換しなくてはならなかった。これにはかなりの忍耐を強いられたが、聴き手に理解されなければ意味がないのだから、仕方がない。何のこれしきと乗り越えるしかなかった。
人間万事塞翁が馬
2016年4月、15年ぶりにタンザニアを訪れた。首都ドドマにあるドドマ大学で開催される東アジア文化を紹介するイベントに参加するためである。
予期せぬ事態が起きたのは到着2日目のこと。翌日小型機でドドマに発つ予定で、ダルエスサラームに居た私に届いたのは「イベント中止の知らせ」。…これが旅。善し悪し問わずハプニングはつきものである。憤慨しても始まらぬと、とにかく、ドドマへ飛んだ。
私と大学の橋渡しをしてくれた日本語教師のS氏が、申し訳なさそうに頭を下げる。彼女のせいではない。私たちは笑顔で初対面の挨拶を交し、オフィスで何か策はないものかと相談していると「日本の女性が2人なんて珍しいね。楽しそうに何の相談?」と長身の好青年が戸口から声をかけた。彼は文学のM教授でS氏の友人。いきさつを話すと、「もし良ければ、明朝の私の授業で和英短歌朗読をしませんか?」私が快諾したのは言うまでもない。オフィスを出る彼と入れ違いに、今度はインド系のL言語学博士が顔をのぞかせた。「何か良い事があったのかね?」こちらからも「明後日で良ければ私のゼミでも、その『短歌』を紹介してくれないか?」と言っていただいた。
ドドマに着くまでは想像もできなかった展開である。もし予定通りのイベントが行われていたら、ご縁のできるはずのなかった2人の教授に出会い、大勢の若い世代に短歌を紹介できたことは幸運としか言いようがない。正に塞翁が馬。イベント中止の知らせに落胆しドドマを断念していたら、この好機は得られなかった。
これからも常に周囲への感謝を忘れず、短歌の種子を世界に植えていきたい。
〈国境を越ゆる心に藍澄めり旅人のまま死なむと思ふ〉著者第六歌集INDIGO
〈一心に流れて海へ放たるる生死の際のやうなる河口〉著者第六歌集INDIGO
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