文字を持たない民族が紡ぐアボリジナルアート~オーストラリアの大地に刻まれた絵が伝える命の伝承~
- 内田 真弓さん/アボリジナルアート・コーディネーター
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【アボリジナルアート Land of Dreams】
https://www.landofdreams.com.au/
【インスタグラムアカウント】
@landofdreamsau
2026年5月にヒルトピア アートスクエア(東京都新宿区)でアボリジナルアート展を開催予定
「違っていて当たり前」の国で生きる
不思議な魅力で誰をもたちまち虜にしてしまう国。
南半球に位置し、日本の20倍もの面積を持つ広大なオーストラリアは、いまや200カ国を超える移民が暮らし、国民の4人に1人が外国生まれという世界有数の多文化国家です。
「違っていることが当たり前。それでいいんだ」と各々の異文化を笑って受け入れる人々に囲まれながら、私はこの国で生きていくことを決めました。早いものですでに32年の歳月が過ぎています。
アボリジナルアートとの出合い
「本当にやりたいことだけをやる」。そう自分に言い聞かせて故郷の茨城を離れ、のちに日本を離れた私は、気づけば1年の3分の1をオーストラリア先住民、アボリジナルの人々とたくさんの時間を共有する人生を選択していました。
現在は「アボリジナルアート・コーディネーター」という少し耳慣れない仕事をライフワークとして活動しています。
もともとはボランティアの日本語教師として渡豪したのですが、帰国直前に全くひょんなきっかけで先住民の人々が描くアートが私の人生に登場しました。彼らの深遠な歴史と文化、そのユニークな芸術に瞬く間に魅了された私は、それ以来ずっとアボリジナルアートの神髄を学ぶべく現在に至ります。
アボリジナルアートを日本へ届けるという使命
自ら「住み込み調査」と称して自宅のあるメルボルンから片道2600キロにある中央砂漠へ定期的に通い、彼らと共に暮らしながら才能ある画家を発掘する醍醐味は言葉になりません。そして自分の審美眼を信じて、1点1点慎重にセレクトしたアート作品を日本で1人でも多くの方々に紹介すること、それこそが自分の役どころなのだと確信しています。
そのためなら気温40度を超える砂漠の炎天下で何度干上がっても、同行した芋虫狩りで採れたてのごちそうを半べそをかきながら口に入れることも、はたまた女性だけの神聖な儀式に参加して10日間シャワーを浴びないことだってへっちゃらなのです。
生き抜くための知恵を絵画で伝える
アボリジナルの人々は、はるか太古から、それは5万年とも6万年ともいわれる長い間、人類最古のライフスタイルである狩猟採集生活をしながら広大なオーストラリア大陸を自由自在に移動して暮らしてきました。道路標識一つない、最も水が乏しい過酷な環境の中央砂漠を彼らは「ここは命あふれる豊穣な土地。なんでも手に入るわれわれのスーパーマーケットだ」と言います。それは土地をくまなく熟知し、神話界をリアルに生きるアボリジナルの人々にとってまさに文字通り豊かな大地なのでしょう。
「読む・書く」という文字を持たない無文字社会の中で生きてきた彼らは過酷な自然条件の中で命をつなぐための大切な知恵や情報を「絵を描く」という手段で次の世代の子孫へと伝承してきました。
元々は自分たちの体の上にボディペイントとして、また大地の上に砂絵として描いていたものでしたが、それがキャンバスとアクリル絵の具で現代美術として公開されるようになったのは1971年。わずか54年前のことです。つまりアボリジナルアートはこの世に紹介されてまだ新しい分野の美術だと言えるのです。
「先住民のアート」から「現代アート」へ
そのアボリジナルアートが昨今、世界各地の著名な美術館の所蔵作品として数多く収集され大きな脚光を浴びているのをご存知でしょうか。日本でも2008年に東京と大阪で大規模なアボリジナル絵画展が開催され、大きな話題となりました。
数年前までは「先住民が描く、ちょっと変わった美術」というイメージが根強く残っていましたが、現在ではモダンでスタイリッシュな図案がまさに現代アートの最先端だと高く評価をされ、著名な画家になると大手のオークション会社によって高値で売買されるなど美術としての資産価値を確実に上げ続けています。
あの日の思いを忘れずに、発信し続ける
西洋美術界と真逆の環境であるオーストラリア中央砂漠で誕生した斬新な現代アート。
まだまだ知られていないアボリジナルアートに初めて出合った時、これは「誰か」が紹介しなければと強く思った私は、その「誰か」になろうと決めました。
その時の気持ちは今も、そしてこれからも変わることはありません。
(無断転載禁ず)