「いい人」ってなんだ
- 武田 砂鉄さん/ライター
- 大学卒業後、出版社で主に時事問題・ノンフィクション本の編集に携わり、2014年よりフリー。著書『紋切型社会』で第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。『AERA』『女性自身』『日経MJ』などで連載を持ち、インタビュー・書籍構成も手がける。近著に『なんかいやな感じ』。
自分のことをよく、「性格が悪いから」と言う。それは、みんなが忘れていることをずっと覚えていたり、「これはどうなのかな」としつこく突っかかったりしている状態について、自らそのように形容しているのだが、実のところ、性格が悪いとは思っていない。
「あの人、いい人だよね」という言い方がある。その時の「いい」には無数の種類があるはずだが、たとえば、「あの人、いい人なんだよ」と人づてに聞いた場合、その「いい」は、気がきく人なんだろう、優しい人なんだろう、涙もろい人なんだろうなどと、いくつかの予想が浮上する。でも、どのように「いい」のかは、会ってみないとわからない。
「いい人なんだよ」と紹介されて会った人が、確かにとてもいい人なのだけれど、この人、ものすごく頑張って「いい人」であろうと心がけているのではないかと、心配になった経験が何度もある。どんな状況でも丁寧に対応していて、自分の意見を言わず、その場になじもうとする。そういう「いい人」に、「いい人でいようとしなくてもいいんですよ」と声をかけたいのだが、何かしらの越権行為だし、そのように投げかけたところで「いえいえ、そんな」と力の限りで恐縮するはず。
今、なかなか社会が絶好調というわけではないので、起きている出来事をくまなくチェックしたり、その上で改善を呼びかけたりするのがなかなか大変になっている。突っ込むべき対象が多いのだ。だから、「これはどうなのかな」をやっていると、ずっと追及が終わらない。そして、突っ込むたびに、突っ込まれたほうや、そもそもその考え方に賛同していた人たちから、「どうしてそういうことを言うんだ」と返されたりもする。
そう、今は何を言っても突っ込まれるのだ。その結果、萎縮する。何も言わないでおこう、波風立てずに正しい存在であろうとする。「いい人」を徹底する。でも、どうなのだろう。自分にとっての「いい人」というのは、どんな場所であっても、「自分はこう思う」と意見を持っている人で、なおかつ、「で、君はどう思う?」と呼びかけてくれる人。自分の意見というのは、どうしても人の意見に対して果敢に突っ込んでいく性質を持つ。だから、「性格が悪い」と言われがちになるのだが、その行為によって、さまざまな議論が発生するのだから、言葉としては完全に矛盾してしまうが、自分は「性格が悪い」ってことは、むしろ「いい人」なのではないかと思っている。
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