一攫千金の夢がいつも…
- 八重野 充弘さん/作家、トレジャーハンター
- 1947年熊本市生まれ。立教大学社会学部卒。出版社勤務を経て92年から現職。74年、熊本県天草での財宝探しを開始。以後、全国の財宝伝説の調査をライフワークとする。日本トレジャーハンティング・クラブ代表。
天草四郎の秘宝を皮切りに、徳川幕府の埋蔵金など、全国の財宝伝説を追いかけてはや50年。いまだに小判1枚手にしていないが、得たものは多いと思っている。
負け惜しみに聞こえるかもしれないが、成果のひとつは、結果よりもプロセスの大切さを知ったこと。始めたころは26歳と若かったので、一攫千金の夢が頭の大部分を占めていた。ところが、黄金の十字架や金銀の燭台など、見つかれば時価数十億円と目されるお宝は、なかなか姿を現さない。いまになって思えば、むしろそれが幸いした。簡単に見つかっていたら、自己の成長はなかっただろう。宝探しは昔の人との知恵比べと心得、その勝負に勝つためにさまざまなことを学び、考え、行動した。たとえ成果がなくても、そのプロセスにワクワクのし通しだった。
そのことと根っこの部分では通じるのだが、より大きい収穫といえるのは、「遊び心」を体得したことである。ぼくが50年も続けることができた最大の理由はここにある。当初から、ぼくと仲間たちの間では、宝探しをめいっぱい楽しもうという暗黙の了解があり、ことを進めていく過程で「遊び」を進化させてきた。これがあとになって、とてつもなく重要だということを、第三者から教えられる。悪い例をほかでたくさん見てきたこともある。人生のすべてをかけて、思い詰めたように宝探しをやっている人が多かった。おもしろいはずなのに苦しそうに見えるのだ。当然だが、そんな人たちは長続きしない。
そもそも「遊び」は楽しいもので、もっとも人間らしい行為である。人間の行動のすべてが「遊び」に端を発している。スポーツや芸術はいうまでもなく、各種産業や科学技術、さらには経済や政治もまた「遊び」から生まれたもので、人類はそれに磨きをかけ、高度化させながら今日の文明を築いてきた。
そういう視点で現代を俯瞰(ふかん)すると、多くの人々が「遊び」を忘れてしまっているように思えてならない。機械の連結部分にゆとりをもたせることを「遊び」というが、人間にもこれが絶対に必要なのである。目先のことしか考えず、心にゆとりのない人間は、いざこざや過ちを起こしやすい。自分自身を客観視すること、大事の前に一歩踏みとどまって考えること、それは気持ちにゆとりがないとできない。みんながもっと「遊び」を楽しめば、きっと対立や分断もなくなり、社会全体がいまよりもずっと寛容になると思うのだが。
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