中途半端でいたい
- 若新 雄純さん/企画会社経営者・研究者
- 株式会社NEWYOUTH 代表取締役、慶應義塾大学特任准教授などを兼任。企画プロデュース会社を経営しながら、大学ではコミュニケーションデザインの研究ラボを運営。企業や自治体と社会実験的プロジェクトを多数企画・実施。慶應義塾大学大学院修了。
僕にはいろんな肩書があるんですが、たまに、大学の「特任教員」であるということについて、「この人は専任の大学教員じゃないよね。会社でいうところの契約社員やパートと一緒じゃん」というようなことをネットに書かれたりします(※特任◯◯という大学教員のほとんどは、研究内容や期間が限定された有期の非常勤契約が多く、僕もその一人)。僕の大学内での立場は、まさにそのとおりで、若手研究者の中には、なかなか専任の教員になれないことに悩んでいる人も多いようです。でも僕は、会社の経営など、他のいろんな立場や仕事とのかけ持ちなので、「大学の先生“も”している」という加点ポイントのような扱いをしてもらえることが多く、それについてはとても気楽です。
僕の社会的評価なんていうものは、きっと、会社経営者としても、大学教員としても、それぞれの分野だけでは大したことのない、まさに中途半端なものだと思います。でも、いろんなものがかけ合わさってぐちゃぐちゃになっているので、おそらく誰も、僕の総合的な評価を正確に計算することはできなくなっています。というか、僕自身も、自分のことを正確に計算できていないし、説明しづらい。でも、中途半端だけどいろいろかけ合わさって計算不可能になれば、なんでもスコアリングされてしまう社会でむしろ生きやすくなるんじゃないかと思うんです。
もちろん、何か一つを究めることができる人生は素晴らしい。でも、それに憧れすぎる必要もないかな、と。そもそも僕たち人間は、社会のどこかの何かにピッタリ合うように調整されて生まれてきているわけじゃありません。運良くハマる何か一つを見つけられたのなら超ラッキー。でも、そうじゃなければ、自分をあえてあいまいで計算不可能な状態にしておくほうが、なんでも気軽に加点できる人生にできそうです。
そういえば、高校2年のころから極真空手の道場に通いはじめました。だけど、道場生の中ではずっと弱っちぃまま。しょぼい空手家(笑)。でも、他にギターやドラム、ピアノなど楽器をひいたり歌ったりする音楽の趣味があって、そこに極真空手が加わることで、大学生のころには「ちょっと強そうなバンドマン」に見えていたとか。もちろん、空手家としてはずっとザコのまま。でも、そんないろいろかけ合わされた計算不可能キャラとしては、中途半端な趣味程度のものも「そんなのもできるんだ」という加点になる。
何か一つに絞ったり集中したりすれば、その世界での成功水準を意識せずにはいられません。そして「まだこれくらい足りない」という減点思考になりやすい。なので僕は、常に付け足しの気持ちを大事にして、できた分がそのまま加点になるような中途半端なヤツで居続けたいと思っています。
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