右肩下がり…。だからこその楽しみ
- 青木 真也さん/格闘家
- 小学生の頃から柔道を始め、2002年に全日本ジュニア強化選手に選抜される。早稲田大学在学中に柔道から総合格闘技に転身。「修斗」ミドル級世界王座を獲得。2019年に株式会社青木ファミリーを設立し、代表取締役社長に就任。格闘家の枠を超えた活動を行っている。
40歳を前にして、格闘技選手としての衰えはないと自分に言い聞かせるように言葉にする。そんな光景は僕だけに限った話ではなく、よく見る光景だ。
しかし本音はどうだろうか。私は30歳半ばを過ぎたあたりから年を重ねるごとに衰えと消耗を感じるようになった。若いときの練習量を担保できなくなり、練習量と質の調整が必要になった。私の現在の練習量は20代の半分以下であろう。ここまでのキャリアで打撃を受けてきたことによる打たれ弱さが出てきている。年を重ねた現在は相手の打撃を被弾してのノックアウト負けも増えた。
衰えに目をつぶることもできなくはないが、現実問題としての衰えを日々感じて、衰えと闘っていくという選択を僕はしている。体力が落ちることも身体の消耗があることも受け入れて、その上で今の自分のベストを出せるように日々を生きている。
衰えを認めて生きていくのは右肩下がりを受け入れて生きていくことでもある。僕の右肩下がりは一見すると苦しく面白味のないように見えるだろうが実際はどうだろうか。
それが楽しいのである。若いとき以上に楽しいのだ。
若いときは右肩上がりで練習をやればやるだけ成果が得られたが、現在はやればやるだけ成果が得られることはないどころか、やり過ぎたら数日動けなくなってしまうから、調整が必要な上に成果が得られるかどうかもわからない。今は練習内容でも試合の戦略でもやりくりが大事になっている。
練習では、若いときのような回復が今はなく、回復が追いつかず翌日以降動けなくなっては元も子もないから、練習量を調整してその分質を高めていく。試合では、戦略を大事にし、今ある武器の組み合わせを工夫して闘っていく。やりくり以外の何物でもないが、やりくりこそが格闘技者の腕の見せ所だと思っている。
何事もルールや制限があるから面白いものだと思う。そこに工夫ややりくりが生まれるからだ。無限に予算が使えたり、時間や人を無限に使えたりしたら、工夫がいらないので面白味はないだろう。腕の見せ所は右肩上がりが望めなくなったところからであり、生きていく中での醍醐味(だいごみ)も右肩上がりが望めなくなったところからなのかもしれない。
これから生きていく上でうまくいかないことはたくさんあるだろう。何があろうと私は希望を持っているし、楽しみなのだ。手元に残されたもので生き抜いていく楽しみを、僕は格闘技という仕事を通じて学んでいるのである。今日も生きよう。
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