連載コーナー
本音のエッセイ

2021年12月掲載

「聞く」って難しいよ

ニシブ マリエさん/ライター・広報PR

ニシブ マリエさん/ライター・広報PR
大手人材情報会社の営業と広報を経て、2017年に独立。現在は企業の広報支援をしつつ、「価値観のアップデート」をテーマに、ジェンダーや社会的マイノリティーを中心に取材・執筆を行っている。

人の話を聞くとは、どういうことなのだろう。ライターは、人の話を聞く仕事。わたしはキャリアはまだ浅いが、目の前の人の心の機微に寄り添えるよう、彼らの語りに注意深く耳を傾けてきたつもりだ。けれど最近、「聞く」という行為は、自分が思っている以上に難易度の高い営みなのではないかと思い始めた。

こんなことはないだろうか。誰かと会話しながらも、ふと別のトピックが頭をよぎり、内容を追えていなかったなんていうことは。しっかりと相槌は打ちつつも、「おや、この人のアイシャドウ素敵だな」「そういえば、あのタスクは今日中だったな」「だめだめ、話に集中しないと…」と、こんな調子。

ライターなら共感してもらえるかもしれないが、質問リストなるものの存在も厄介だ。何を聞くかをまとめた書類をあらかじめ先方に渡すことがあるのだが、リストがあると、そいつを網羅することに意識が向いてしまう。各設問に対する時間配分を気にしているので、「意味」のなかに潜っていけない。深めたいポイントを発見しても、潜水に迷いが生じるのだ。

自分の考えもときにノイズになる。たとえば、相手から賛同できない発言が飛び出したとき。思わず自分の正当性を確かめようと論を立てることに集中してしまい、相手の主張をしまいまで受け取ることを忘れてしまう。呼び起こされた考えは脳内を占領し、発話の司令塔にアピールしてくる。言いたい、言いたい、と。人はたいてい、聞いているときより話しているときのほうが楽しい。だから注意しないといけない。聞き手のこちらが意見を発するなら、それが相手にとって有効な問いになりうる場合でないといけないと思っている。

言ってしまえば、よき聞き手とは何かということだ。自分を押すのか、引くのか。そりゃあ、聞き手が自分でなければならない理由はほしい。でも、そもそも「質問」自体にメッセージが込められている。何かを言いたいと駆られているときって、相手のためより自分のためであることのほうが多いのでは。相手の思考を助けたいというより、言って自分がスッキリしたいだけだったりする。

話し上手は聞き上手という言葉がある。インタビューでも、カウンセリングでも、会話でも、「いい時間を過ごせた」と満足するときはたいてい、自分がたくさん話せたときだ。よき問いと巡り合い、思考が前に進んだとき。そこには、聞き手という器の存在がある。物言う器は、果たして聞き手を受け止めきれるだろうか。本当に話を聞こうと思うなら、自分をなくすくらいの意識がちょうどいいのだと思う。

(無断転載禁ず)

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