旅のエクスタシーは?
- 宮田 珠己さん/紀行エッセイスト
- 大学卒業後、会社勤めの傍らアジア各地を旅する。1995年ライターデビュー。以来、興味の赴くままに、巨大仏、石ころ、迷路温泉、海の無脊椎動物など幅広い分野で執筆活動を続けている。『いい感じの石ころを拾いに』『ニッポン脱力神さま図鑑』など著書多数。
紀行エッセイストを名乗っているせいで、今一番行きたいところはどこですか、と聞かれることがよくある。
そのたびに適当なことを答えているが、私は本当はどこに行きたいのだろうか。
絶景が見たい?
まあ見たくないわけではないが、テレビの旅番組でよくあるような、風光明媚(めいび)なところへ出かけて絶景を眺めながら感動で涙を流した、なんてことは一度もない。そういう番組を見ると嘘くさいなあと思う。
美しい景色だなと思うことはもちろんあるし、穏やかな景色に心安らぐこともある。しかし絶景を見て感動するという、そこまでのことはその風景に特別個人的な思い入れでもない限り、まずないのではあるまいか。
ではどこに行きたいのか。温泉に浸かってのんびりしたい?それともおいしいものが食べたい?まあ温泉もおいしいものも悪くないが、それが何より重要かというとそんなことはない。
自分が何を求めて旅をしているか、あえて自問してみると、どうやら目的地がどこであるかは関係ないようである。
行き先なんてどこでもいい。旅をしている状態にあることが一番重要である。さらに欲を言えばなるべく家から遠いこと、そして心細いこと。
地方都市のビジネスホテルにひとり宿泊して、窓から夜のなんでもない風景を眺める。たいていそこにはちらほらと明かりが見える程度で、海も山も闇に沈んで見えないし、そもそも都会ならビルしか見えなかったりする。ああ、なんか寂しいなあ、としみじみ思う。
また電車に乗って窓の外をぼんやり眺めながら、今夜はどこで食事しようかな、ひとりだしめんどくさいからファストフードでいいか、なんて思っているとき、実は一番旅に浸っている感じがする。
高級リゾートに泊まるとか、豪華客船に乗るとかそんなゴージャスな旅は、してもいいがしなくてもべつに構わない。ツアー旅行のパンフレットにどれだけ美しい風景写真が載っていようがおいしそうな料理が載っていようが、まったく食指を動かされない。
それよりも知らない場所でポツンとひとりでいる、そんな寄る辺ない瞬間に、自分は何より旅のエクスタシーを感じるのだった。
窓の外の何もない景色を眺めながら、ああ、こんなところまで来てしまった、この先どうするんだろう、としみじみするのが私にとっての最高の旅の瞬間である。
(無断転載禁ず)