連載コーナー
本音のエッセイ

2020年2月掲載

終活にまつわる大きな誤解

市川 愛さん/葬儀相談員

市川 愛さん/葬儀相談員
1973年神奈川県生まれ。2009年に終活を考案し、週刊朝日の連載特集「現代終活事情」で提唱を始める。講演活動、葬儀記事や書籍の執筆、番組出演などを通して、正しい葬儀情報と終活を広めるための活動に従事する。著書は『「現代葬」がわかる本』(PHP研究所直販)など9冊。

「終活って死ぬための準備ですよね?」2009年に私が終活を考案してからかれこれ10年、数え切れないほど言われてきた言葉だ。せっかくの良い機会だから、ハッキリ本音を申し上げるとしよう。「それ、全然違います!逆ですよ!」

「死」を考えることは、「生きる」をポジティブにするという。本来の終活とは、自分らしさを見つめ直し、より良い人生を創っていく活動なのだ。葬儀の希望を決めたり遺言をしたためたりするのは、終活のほんの一部分に過ぎないのである。

ところで、終活を死ぬ準備だとか、人生の店じまいだと考える多くの方は、生まれてから死ぬまでの一生を大きなアーチ状に捉えているのではないだろうか?オギャアと生まれてから子ども時代〜青年時代にかけてぐんぐん上がり、20〜40歳ごろにピークとなる、そこからは徐々に下っていき、中高年〜高齢期を経て、ゼロになったときに死を迎えるー。

しかし、本当にそうなのだろうか?もしこれがスポーツ選手の選手生命ならばそうかもしれないが、はたして人間の価値とは、体力と同等に量られるべきものなのだろうか?

この疑問に明確な答えを与えてくれたのが、知人に教えてもらったある老ジャーナリストの言葉だった。2016年に101歳で亡くなるまで、生涯現役のジャーナリストとして活動された武野武治(むのたけじ)さんは、著書や講演などで、「死ぬときが人間のてっぺんなんだ!」と語っている。この言葉に出会ったとき、私は雷に打たれたような衝撃を受けた。これこそが終活を一言で表してくれる言葉であり、生きていくことに大きな勇気を与える考え方だと思えたのだ。体力ではなく、人格や人間性こそがその人を表すものである。すべての出会いや成功・失敗体験は、かけがえのない人生経験としてその生き方や考え方を創っていき、そして、それらは死の瞬間まで高まり続け、死後も遺された者に影響を与え続けていくのだ。

終活を「死ぬ準備」だと思えば、おっくうで気も進まないだろうし、暗い気持ちにもなるだろう。老いるギリギリまで手を付けたくないというのもわかる。しかし、終活とは「死ぬときこそてっぺん」を実現するための活動なのだと思えば、そんな前提はひっくり返る。

高齢者だけでなく人生を真剣に考えるすべての方々に、終活を通して、明るく前向きに、てっぺんの角度を上げていくような生き方を見つけてほしいと願ってやまない。

(無断転載禁ず)

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