連載コーナー
本音のエッセイ

2019年6月掲載

「型」を知らずに「型破り」は無し?

小林 雄次さん/脚本家

小林 雄次さん/脚本家
1979年長野県生まれ。『サザエさん』で脚本家デビューし、アニメや特撮、ノベライズの執筆を中心に活動。代表作は『ウルトラマン』シリーズ、『プリキュア』シリーズ、『美少女戦士セーラームーンCrystal』、『牙狼』など。日大芸術学部非常勤講師。

母校の大学の映画学科でシナリオの書き方を教え始めて今年で10年目を迎えます。しかし、慣れるどころか、教えることの難しさを痛感する日々です。

シナリオには基本となる「型」があります。ところが、学生たちにはなかなか基本の型が伝わりません。展開は散漫で、パズルのピースが散乱したようなシナリオを書いてきます。

なぜなのか。理由は明白で、彼らはシナリオの型を体得できるほどたくさんの映画を観ていないのです。面白い映画を浴びるように観ていれば、「こうすれば物語は面白くなる」という型は自然と身につくはずですが…。

では、なぜ彼らは映画を浴びるように観ないのか。昔は映画館に行かないと観られなかった名作の数々も、今や配信サービスの充実により、低価格で観放題になっているのに…。

ある時、理由に気づきました。

世の中に作品が溢れすぎた結果、選択肢が多すぎることが弊害になっているのではないか、と。

新年度にアンケートを実施し、好きな映画・ドラマ・アニメなどを挙げてもらうのですが、みんなが共通して観ている作品が年々減りつつあります。学生たちが挙げる作品はバラバラで、ポジティブに捉えれば多様性の象徴とも言えるでしょう。しかし、シナリオの型を理解するための「共通言語」となる作品が減りつつあるのです。

観たい作品を観たい時に観たいだけ観られる環境は、一見理想的です。映画やドラマやアニメだけでなく、素人の自主制作や投稿動画なども含めると、世の中には膨大な数の作品が溢れています。

けれど、みんなが好きなものに好きなだけ触れ、好き勝手に創作して発表できる多様性の時代、シナリオの基本の「型」が失われつつある気がします。

いや、型なんかどうだっていい。型にとらわれず、好きなものを好きなように表現することが芸術なんだ、という考え方もあるでしょう。先人たちの作った名作を、今の学生たちが面白いと思わないのも自由です。

しかし、型を知らないまま型破りなものは生み出せません。文法を知らずに名作文学なんて書けるはずないのですから。

…といったことを考えるたびに、私は己のシナリオを顧みます。

学生たちの作品が理解できないのは、型ができていないからではなく、お前の頭が固いからではないか? お前はどれだけ名作を鑑賞し、シナリオの型を体得しているのか? それが十分にできていれば、もっと優れたシナリオが書けるはずではないか?

打ち合わせでダメ出しを受け、反省する日々です。

(無断転載禁ず)

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