連載コーナー
本音のエッセイ

2018年10月掲載

猫をかぶった猫たちへ

遠藤 薫さん/社会学者

遠藤 薫さん/社会学者
東京大学卒業。東京工業大学博士課程修了。学習院大学教授。社会学。近著に『ソーシャルメディアと〈世論〉形成』(東京電機大学出版局)、『ソーシャルメディアと公共性』(東京大学出版会)、『ロボットが家にやってきたら』(岩波書店)、「招き猫と化け猫」(『法学会雑誌』)等多数。

「猫をかぶる」という言い回しがある。人になついた飼猫のように可愛いふりをする、という意味で使われる。もちろん、「ふり」だから、「実は違う」ことを含意している。

江戸後期の思想家・只野真葛の作品集『むかしばなし』には、こんな小話が収められている。

土井山城守の城には、子犬くらい大きい猫が棲みついていた。いつからいたのか知る人もないが、特に悪いことをするでもなく、ときどき番人がこの大猫を見かけるくらいだった。

ある春の日、花も爛漫に咲き乱れてのどかな日和だったので、城に詰めていた家臣たちは、花見をしながら外庭の芝生で昼食をとることにした。するとそこに、どこからともなく、えもいわれず愛らしい小猫が現れた。きれいな毛並みに紅の首輪を付けて、楽しげにあたりを駆けめぐり、蝶に戯れ遊ぶさまはあまりにも美しく、居合わせた者たちはうっとりと見惚れていた。

ところがある者が「首輪を付けているからには飼猫だろうが、どうやって迷い込んだのか」と疑いだし、焼むすびを1つ投げた。猫はたちまちそれに食いつき、正体を顕した。それはあの大猫だった。その後、猫は二度と姿を見せなくなったという。

この物語を思い浮かべると、思わず切なくなる。もはや誰からも忘れられ、城の片隅にひっそりと住んでいた古猫が、咲き誇る春の生命にふと誘われて、かつて人びとにもてはやされた小猫の姿に戻り、無心に胡蝶と戯れた一瞬。でも夢はたちまちに破られる。もう無邪気だったあの日は戻らない。ありのままの現実が後に残る。猫ははかない夢を見た自らを羞じ、姿を消す。

だが、夢を見ることは許されないことなのだろうか?大猫であることはそんなに悪いことなのか?美しい夢と、思い通りにはならない現実の中で、日々あがきながら生きているのは私たちみんなだろう。

そう思えば、たった1つの焼むすびで現実に戻ってしまった大猫が、抱きしめたいほど愛おしい。

「戻っておいで」と大猫に呼びかけたい。何も羞じることはない。理想と現実の超えられないギャップに引き裂かれながら、それでも何とか生きていこう。時には自分を勘違いし、また自分に幻滅し、華やかな春の日とひとりぼっちの秋の夕を行ったり来たりしながら、一緒におにぎりを分け合おう。猫をかぶった大猫さんたち。

(無断転載禁ず)

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