20年後の日本で問われる英語力
- 金原 瑞人さん/翻訳家
- 1954年岡山市生まれ。法政大学教授。訳書は児童書、ヤングアダルト小説、ノンフィクションなど500点以上。訳書に『不思議を売る男』(偕成社)、『青空のむこう』(求龍堂)、『豚の死なない日』(白水社)など。エッセイに『サリンジャーに、マティーニを教わった』(潮出版社)など。
ある日、学生が質問にきた。「先生、20年後になくなってる職業のなかに翻訳家がありました!わたし、翻訳家志望なんですけど、どうしましょう」という。そのときなんと答えたかはさておき、翻訳を始めて30年以上になるが、最近、翻訳ソフトの発達には正直、驚いている。
大学のリーディングの授業でも翻訳ソフトを利用する学生がいて、そんなのは提出された訳文を見ればすぐに分かるので厳しく注意している…のだが、注意しつつも、なんで、翻訳ソフトを使って課題をやってはいけないのか、たまに疑問に思うこともある。というのも、会社で部長に「金原くん、この英文を日本語に訳してくれ」と頼まれた場合、翻訳ソフトにかけて出てきた文章のおかしいところや、明らかな間違いをチェックして打ち直して提出しても、出来がよければそれでいい。部長に、なんでそんなものを使った、といって怒鳴られることはない。
翻訳ソフトの性能についてはいろんな噂が飛び交っていて、「こんな変な訳文になるんだよ!」というばかばかしい例はよく聞かされる。しかし、この頃のソフトはそこそこ使えるようになってきた。たとえば、産業翻訳や技術翻訳などの場合、90%くらいは翻訳ソフトでこなせるようになっていて、専門の翻訳家は訳文のチェックに当たっている。
いや、大学の英語の授業は本人の英語能力を高めるのが目的なのだから、そんなものを使うのはまずいだろうという意見はもちろんある。ただ、その意見がいつまで通用するのか、そこが問題だ。
電気炊飯器が出てきたとき、「ご飯は釜と薪で炊く物だ!まったく味が違う!」と怒った人は多かった。たしかに昔はそうだった。ところが、いま薪と釜でご飯を炊く人はほとんどいない。ソロバンを使う人もいない。現在、英語の通訳マシン、翻訳ソフトの発達は目を見張るものがある。
今年、おもしろい通訳機が発売された。50カ国語の双方向の通訳をやってくれるマシンで、手のひらサイズ、値段は3万円台。世界64カ国で使える。もちろんぎこちないところはあるが、それにしても素晴らしい。通訳マシンも翻訳ソフトも、これからどんどん進化していく。
そこで本音をひとつ。文科省は日本人の英語力を高めるべく、小学校から英語を教えることにした。しかし20年後の日本、一般の人々にとって、とくにビジネスシーンでそんな英語力が必要になっているのだろうか。通訳マシンや翻訳ソフトを上手に使いこなす能力のほうが必要とされているのではないだろうか。英語を必要とするのはごく限られた専門家だけだろう。もしそうなら、いまの英語政策はじつに大きな無駄だし、多くの国民がその被害を受けることになる。そのとき文科省は責任を取れるのか。
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