ホンネより建前を!
- 大野 裕之さん/脚本家
- 1974年大阪生まれ。京都大学大学院卒。プロデューサー・脚本を手がけた映画『太秦ライムライト』で、カナダのファンタジア国際映画祭最優秀作品賞。著書『チャップリンとヒトラー』(岩波書店)で第37回サントリー学芸賞。日本チャップリン協会会長。
生まれてこのかた、あんまりホンネとか建前とか気にしなかった僕が、初めてそれらの言葉を意識したのは、10年ほど前に知り合いのダンナが選挙に出た時だ。
付き合いで決起集会に出席させられ、彼はスーツで「建前ではなくなんでもホンネだけで語り合いましょう」とか言いながら握手を求めてきた。僕は研究者かつ映画・演劇関係の仕事をしているのだが、研究は事実を積み重ねて本当のことしか書いてはいけないし、実は創作とはフィクションで真実に迫ることなので、いずれの場合も建前+ホンネで最適解でしか語ってはいけないわけ。なんでホンネだけで語らなあかんのか。
しかし、集会が進むにつれて脱サラして立候補を思い立った彼の言うホンネの意味が分かってきた。「労組の奴らは間違ってるけど、ホンネ言えば1票でも欲しい」から始まり、選挙参謀は「公約とか建前より、視線や表情のホンネの部分で票が入ります」とか。さすがに「ホンネで言うと妻の涙が有権者に一番訴えるので、妻には何度か泣いてもらいます」と言い始めてブチ切れそうになった。
最後に、市会議員候補なのに「建前の平和憲法を変えて、ホンネで軍備増強を」とか言い始めてへきえきとした。広島・長崎で核戦争を部分的に経験した上で作られた憲法はいまだ最先端の建前だし、海外でビジネスしてる人なら分かるけど、あの存在のおかげで信用が増して商売がうまくいき、専守防衛ポリシーで経費が抑えられるという、経済上のホンネのメリットは大きい。
「でも、あれは建前で、ホンネではあんな憲法は守れていない」と皆言うけど、そんなことは当たり前の話だ。そもそも法律とは現実を超える存在だ。誰も制限速度を守れていないけど、標識に制限60キロと書いていると、120キロ出したいけどまあ80キロぐらいでやめておこうかとなる。法律=理念は守れなくてもそれがあることで現実を統整する。現実にあわせて法律を変えるのは慎重になるべきだ(殺人が頻発すれば、1人ぐらい殺していいという法律にするのか?)。
戦後はずっと建前ばかり強制されてきたから、ホンネに居直りたい気持ちは分かる。でも、大多数がホンネばかり言ってる今、あえて建前の方が偉いと言いたい。むろん、それが天邪鬼であることは重々承知だけど、人と正反対のことを言ってる限り間違いはない。それが僕のホンネ。
ところで、くだんのホンネマンは見事に当選した。当選後、「政治とは」と塾を開いて若者を集め、そのなかの女子大生と不倫して、選挙中涙を流した妻と離婚した。ふーん、それが彼のホンネだったのね。
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