便利な環境―ありがたい―つまらない
- 南 恵子さん/食と健康アドバイザー、素食プランナー
- 素食を通じて、「食べ物を大切にいただく心」「健康を育む食の知恵」「体の声を聴く」を育むことを主要テーマに、さまざまなメディアでの原稿執筆、レシピ制作、講演など幅広く活躍中。著書に『じぶんでつくるクスリ箱』レシピ提供・監修(ブロンズ新社刊)など
私は、先人をお手本に、健康を育む食の知恵や、食べ物を大切にいただく心を伝える仕事をしています。私が尊敬する摘み菜料理研究家の先生は、「知恵とはモノがない時にこそ養われる」、とよく口にされています。このごろ、その言葉が腑に落ちるようになりました。
私たちは、便利で豊かな社会になればなるほど生きるための知恵や力を育む機会が欠けてしまう、不都合な社会になっている気がしてなりません。
今は、スマホでスッスーと検索すれば、晩御飯のレシピも検索でき、料理の作り方は動画で見られる、お買い物も楽々できます。便利な調理用具はもちろん、天ぷらを揚げる温度は、ガスもIHも勝手に設定して上手に揚げてくれます。掃除機は文句も言わずに勝手に掃除してくれる、車も危ないと察知したら止まり、考えなくても家が勝手に節電もしてくれます。
どこまで、モノに頼って、便利にすれば気がすむのでしょうか。
冷蔵庫の中にある食材を無駄にせずに何を作ろうかなぁと考えたり、便利なピーラーを使うよりも包丁を危なげに持ちつつも野菜の皮をむくとか、油の入った鍋にお箸を入れて、泡の加減で温度を判断する。そんな面倒でささやかなプロセスが、実は脳内の血流を促して、刺激を与えているのだとか。自分の体や頭を甘やかさずにしっかり使うことが、自分の健康のためにもなるのです。
阪神淡路大震災を経験した時、一瞬にして電気もガスも水もなく、不安な時を過ごし、便利で豊かな暮らしは、こんなに脆いものだと痛感しました。
それから娘には野草料理やデイキャンプ、牧場仕事の体験など、食の原点に触れる体験を重ねさせることを意識してきました。成長した娘は、貧乏な海外旅行ばかりしていますが、その経験からも「豊かさ」の意味を考えることも多いようです。
モノが豊かで便利な環境はありがたい。それは間違いありません。仕事で忙しい時に帰ったらご飯が自動で炊けているとか、歳をとって手がうまく使えないとか、そんな時に便利なグッズや家電があれば、どれだけ助かることでしょう。大人はそれ以前に不便さや不足を知っているからこそ、便利さや豊かさのありがたみが分かるのだと思います。
しかし、若い人にとって、生まれた時から便利なものに囲まれ、自分を生かす機会が少ない環境にあることは、ある意味つまらない。いや、もしかするとこの国の将来は危ういことになるやもしれません。
便利さは不都合と表裏一体。あえてここまで、と便利さに線を引く決断が求められている時代なのかもしれませんね。
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