連載コーナー
本音のエッセイ

2017年6月掲載

やっぱり太陽光でいいんじゃない?

長沼 毅さん/生物学者

長沼 毅さん/生物学者
1961年生まれ。89年筑波大学 大学院 生物科学研究科 修了。海洋科学技術センター(現・海洋研究開発機構)研究員などを経て、広島大学 教授。専門は、深海・地底・南極・北極・砂漠など極限環境の生物学、生物海洋学。

また暑い夏が来る。暖房なら電気以外もあるが、冷房は扇風機やエアコンなど、ほぼ電気だ。冷房に限らず、現代文明は電気文明である。日本の電気は、かつては原子力発電が約3割を担っていたが、2011年3月以降は原発ゼロが続き、ようやく5基が再稼働した。それでも全体ではまだ約30基が停止中である。今年もまた「原発のない夏」の様相だ。

それ以前にも「原発のない夏」はあった。2002年に「トラブル隠し」が発覚し、東電の原発の全17基すべてが停止したのである。それで翌2003年、首都圏は「原発のない夏」を迎え、「原発ゼロでも大丈夫」と分かったのだ。しかし、その時の救世主だった横須賀火力発電所はすぐに潰されてしまった。こんなもんがあると原発不要論が出るので早く潰してしまえという意図があったのか。

原発には賛否両論あるが、私はどっちでもいい。なぜなら、私は「原発ゴミ」(放射性廃棄物)の問題に関わってきたが、賛成派も反対派もどっちもこれを棚上げにしてるから、どっちでもいいのだ。そしてもう一つ、どうせウランはあと100年しかもたないし、石油と天然ガスはあと50年、石炭もあと100年。では、どうする?どっちの派もやはり棚上げにしてるから、どっちでもいい。

新エネルギーとして期待できるのはやはり太陽光発電である。飛行機から地上を眺めると、屋根や屋上だけでなく、休耕田その他でも、太陽光パネル群がすごい勢いで広がっている。ある試算によると2030年には太陽光が水力に肩を並べるとのこと。それでも私にはまだ甘く見える。太陽光はあと50億年あるのだから、もっと太陽光を、と言いたい。

太陽光に対しては「お天気まかせ」という批判がある。夜・雨・冬は発電できないからだ。その背景には「電気は生モノ」という変な信念がある。つまり、せっかく昼・晴・夏に発電しても、その電気を貯められないという誤解だ。しかし、電気は形を変えて貯められる。

太陽光でつくった電気で「水の電気分解」をすれば「水素」が得られる。水素なら貯められるし、持ち運びもできる。また水素さえあれば、いつでもどこでも「燃料電池」で発電できる。燃料電池は「水素発電機」と呼ぶべきだし、燃料電池の自動車は「動くミニ発電所」とみなすべき。

この太陽光発電と燃料電池の組み合わせで、自由でスマートな新電力の社会をつくれるのである。逆に言うと、こういう電力革命を100年以内に起こさないと、現代文明はもう衰退するしかない。

(無断転載禁ず)

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