ものを書く仕事
- やましたひでこさん/「断捨離」提唱者
- 東京都出身、石川県在住、早稲田大学卒業。「断捨離」を日常の片づけ術に落とし込み応用提唱。誰もが実践可能な自己探求メソッドとして構築する。著作は、累計250万部を超えるミリオンセラー作家でもある。
そうか、正確に表現すれば、ものを書く仕事もと言うべきなのでしょうね。なぜなら、私はものを書くことが本業ではないから。
けれど書いている。毎日書いている。書籍、雑誌の原稿。そしてメールマガジンにブログ。しかも最近、これにfacebookまでもが加わって、なんだかんだと、あれやこれやと毎日欠かさず書いている。そして、作家さんですよね、なんて人から呼ばれることもあったりと。
作家とはすてきな響きを放つ肩書きの言葉。けれど、それ以上に魅惑的な響きをもつのがエッセイスト、随筆家。そうですね、エッセイストと言うよりは、日本語のそれの方がさらに妙なる響きで私の心を浮き立たせてくれるのだけれど。
もの書き
作家
叙述業
エッセイスト
随筆家
そうか、何でもいい、書くとは、書けることとは、とても愉しみ溢れることには間違いなくて。
でも、気が付いた。私は何かしらのテーマがあって初めて書ける。私自身の訴求を書き言葉で表現発信することはできる。けれど、徒然なるままに、心に浮かぶよしなしごとを、そうだ風景や情景、心象をやわらかなタッチで描写、綴るなどまったく不得手なのだ。
今回、頂戴したこのご依頼。どうぞ、テーマなど気にせずお好きなようにお書きくださいと。そう、エッセイのご依頼。そしてうかつにも引き受けてしまったこの私。
ああ、それは何より随筆家という魅惑的な響きに心惑わされてしまったから。日常のささやかな出来事、そこに生じてくる心の機微を細やかに表現できたとしたら、なんてすてきなのだろうと憧れていたから。
いやはや、困りものですね、この身の程知らずは。こんな私にエッセイの機会を与えてくださった編集者さんの勇気に、いえ、私を買いかぶった勘違いに、感謝しなくてはなりませんね。
書くということ、それはある意味自分自身をさらすことでもあるけれど、私を私として素直に表現できたとしたら、私を私として正直に伝えられたとしたら、それこそが書くことの喜び。人は誰でも自分のことをもっと知ってもらいたい、もっと分かってもらいたいと自然に思いこいねがうものだから。
それにしても今もって不思議に思うのは、こうやって日々ものを書いている自分。はるか昔の学生時代を思い起こしてみるまでもなく、作文、レポートといった類の提出物をずっとずっと忌まわしく思っていたことには違いないので。
人とは何かのきっかけで変わる。そう、変わっていけるものなのでしょう。
(無断転載禁ず)