連載コーナー
本音のエッセイ

2013年1月掲載

観月のたしなみ

内澤旬子さん/ルポライター

内澤旬子さん/ルポライター
1967年神奈川県出身。ルポライター、イラストレーター、装丁家、製本家。建築、書籍などをテーマにイラスト・ルポを書く。共著に『印刷に恋して』『「本」に恋して』(松田哲夫 文)、著書に『センセイの書斎』(河出文庫)『おやじがき』(にんげん出版)など多数。『身体のいいなり』(朝日新聞出版)で、2010年度講談社エッセイ賞受賞。

趣味は月見ですというと、ぽかんとされることが多い。

月なんて、晴れていればいつでもどこでも出ているのに、わざわざ趣味とうたう意味があるのか。

いやいや。月の出は毎日約1時間もずれていくんですよ。満ち欠けの周期と季節に日没時刻、それから場所と天気を掛け合わせたら、無限大に楽しめますと、友人知人に説明し、同好の士を増やそうと思うものの、たいがいは実に薄い反応しかいただけない。

先日は、水道橋のビルの谷間にあるスタジオのイベントで、休憩時間に外に出たら、広場を挟んだ向かいのビルの上に、半月が乗っかって、こっちを見ていた。ビルににょっきり角が生えたようだ。同じように外の空気を吸いに来た年配の知人男性に、「ほら、Hさん、月が角みたいですよ」と話しかけたが、「ああ、うん」とそっけなくチラリ目をやるだけ。

しばらく彼と雑談しているうちに、ビルから勢いよく突き出した角に見えた月は、ぐんぐんと沈み、ビルの境界線から先っぽだけがぽちりと灯るのみに。話をしながら気が気じゃない。あ、もうすぐ沈んじゃいますよ。

 再び促されてビルを見たHさんは、ようやくあれ!?と声を上げた。
 「さっきまでビルから出てたじゃないか」。そうなんですよ。
 「こんなに早く動くものなのか……」

なんて話すうちに、ぽちりと灯っていた先っぽも、完全にビルに呑まれてしまった。あとは朝がくるまで、夜空は不動。いや、星は動いているのだが、都会の空では真冬でもないかぎり、星はない。するとさっきのビルと月が交わった数分だけが、奇妙に浮き上がる。あれはなんだったのか。

公衆の頭上で、音もなく繰り広げられる幻術。ある日突然、実に不可解で美しいものであることに、気づく。それが月なのだ。

もう一度見ようとして、次の半月に同じ時刻同じ場所に立っても、季節は動き、天気が同じとも限らず、軌道もずれ、つまりは同じ月とビルには、出逢えない。

そうなるともう月から目が離せなくなる。いまどこにいるのか、月齢はどれくらいか、空が見える場所にふと立つと、方角を探り、今日はあの辺にいるはず、見逃してたまるかと、目を凝らす。

それどころかあの浜で満月をみたらどう見えるだろうかと、地図と月暦を読み、予測を立てて追いかけまわすようになる。これを趣味と呼ばずしてなんと呼べばいいのか。

月は、そんなわたしも、まるで頓着しないひとも、あまねく青く静かな光で包み、見守る。たぶん今宵も、どこかから。

(無断転載禁ず)

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