釣りで救われた?
- エド山口さん/芸能界の便利屋
- 1948年東京築地生まれ。ベンチャーズでギターと出合い、実弟のモト冬樹とグッチ裕三をメンバーにソウルバンドを組む。82年「お笑いスター誕生!!」で8週勝ち抜き芸能界デビュー。DJ、俳優、執筆、講演、作詞作曲活動のかたわら、今年7月に「エド山口&東京ベンチャーズ」11枚目のアルバムをリリース。
今年(2012)10月に7回忌を迎える母が、1984年に言った言葉が忘れられません。
「おまえは、釣りで救われたね」
84年というと、芸能界にソロデビューして2年目。テレビの生ワイド番組にレギュラー出演していた僕を見てそう感じたのだそうです。
「おまえは人に気を使いすぎる。使った分返ってくればいいけど、多くの人はそれに気づかないから、おまえが疲れる」
「釣りは相手が海だから気を使わなくていい。てらう必要がない。おまえは釣りで救われてるよ」
酒の飲めなかった当時のエドは、自分で言うのもナンですが、業界人との席などでは「座持ちがよい」ことで有名でした。座持ちがよいを辞書でひもとくと「一座をとりもち、その座に興を添えること」と出ています。
中学生になったころから、団体競技よりも個人競技、つまり、野球、サッカー、バレーボールよりも、卓球やローラースケートに傾いたのも、また漫画家を目指して家で黙々とケント紙にペンを走らせていたのも、いま考えてみれば「できるだけ人に気を使わなくても済む方向」へと自分を持っていこうとしていた表れだったと思います。その後のサーフィン、クルマのレース、どれをとっても個人技ばかり。
芸能界になじんだころの好きな仕事は、ラジオのDJ、執筆活動、作詞・作曲、バンド活動。仕事がらみでの気の使いすぎを封印しようとする傾向が見られます。
そして釣り。
エドの釣りは今年で43年目に入りました。
1969年の1年間を砂浜や堤防からのキス投げ釣りに費やし、翌年から磯釣りに転向して現在に至るまで、小笠原釣行15回を皮切りに、日本の全離島、はたまた外国の磯からも竿を出し、14年間通った奄美大島では観光大使にまで任命されました。
84年という年は、釣具メーカーから専属インストラクター契約の依頼がポツポツと来ていたころ。現在契約を結んでいる5つのメーカーとはこのときに縁ができています。
「海にてらう必要はない」
その言葉通り、42年間、自分の性に合った磯釣りを通して多くの事柄を学び、多くの友人を得、自然の移り変わりを目の当りにしてきました。
そんなエドに、沖縄のある会社から海洋レジャー事業にひと肌脱いでくれないか?との依頼がきたのは、今年8月のこと。那覇新港にある沖堤防への釣り人送迎事業改善のために、プロデュースをしてほしいという話なのです。
趣味で始めた釣りとはいえ、こんなカタチで望まれる日がやってくるとは思ってもいませんでした。
「おまえは釣りに救われるよ」
母の言葉が耳に残ります。
(無断転載禁ず)