ラジオの時代
- 平川 克美さん/事業家・文筆家
- 1950年東京生まれ。早稲田大学理工学部機械工学科卒業。1977年翻訳を主業務とするアーバン・トランスレーションを設立、代表取締役となる。現在、株式会社リナックスカフェ代表取締役。株式会社ラジオカフェ代表取締役。立教大学大学院ビジネスデザイン研究科特任教授。『小商いのすすめ』など著書多数。
最近はテレビも見ないし、ラジオも聴かなくなった。テレビはお笑い芸人が仲間内でふざけ合っているような番組が多く、FMラジオでは妙な英語なまりの日本語を喋る帰国子女と付き合わなくてはならない。AMの帯番組ではなんだか人生相談ばかりやっているような気がする。もちろん、還暦を過ぎたわたしの偏見だが、偏見を覆してくれるような番組が少ないことも確かだろう。
NHKが『ラジオ深夜便』という番組を流しているのを知ったのは、泥酔の深夜タクシーの中であった。落ち着いた大人が、何の気負いもなく普通に話をしていた。「いいね、運転手さん、ボリューム上げてくれる?」とわたしは言った。これがラジオというものだ。
この「ボリューム上げて」という言葉は、いつもわたしに1つのエピソードを思い出させる。誰に聞いた話なのか、本当にあった話なのか、あるいはわたしが勝手につくりあげた捏造記憶なのか、じつはあまり確かではないのだが、わたしの中では確固としたエピソードとして登録されているのである。それは、坂本九の『上を向いて歩こう』という唄が、全米で流行するきっかけとなった逸話である。
発端はアメリカのラジオ地方局での1枚のレコードである。
狭い地方局のスタジオで、ディスクジョッキーが日本から届いたという1枚のレコードを流した。宵闇せまるハイウエイを家路に向かうビジネスマン、ビール片手の長距離輸送のトラック運転手、子どもをあやしている母親がラジオから流れてくるこの曲を聴いていた。
それほど多くの人が聴いたわけではない。しかし、それを聴いた人は、心のどこかを激しく揺さぶられるような気持ちになった。長距離トラックの運転手は、思わずカーラジオのボリュームを上げた。
翌日、このラジオ局にリクエストの電話がぽつりぽつりとかかりだす。誰も曲の名前を知らない。どうも日本の曲らしい。だから『スキヤキ』ととりあえず呼ばれた。電話をかけた人々には、それぞれのうかがい知れない人生がある。ラジオの電波がその見えない人生を結び合わせる。ロバート・アルトマンの映画のような話だ。
人生の中で、ひとは誰も出逢いたい人やことがらに出逢えるというものではない。出逢いたくないひとに出逢ったり、起こってほしくない出来事に遭遇することは多いけれど。ただ、時たま天から光が差し込んでくるように、不意の吉報が舞い降りてくる。いや、そんなことも滅多に起こらないことも、誰もが知っている。知ってはいるがどこかで、そんなことが起こるかもしれないと願ったりしているのかもしれない。
唐突な話で申し訳ないのだが、わたしは現在秋葉原にオフィスを構えている。かつて、ここはラジオのパーツを売る屋台が並ぶ、日本有数の電気街であった。街の近代化にともない、いまではだいぶ様相が変わってしまった。
このラジオの街から、いくつかの新興宗教が生まれて消えたという話を聞いたことがある。小さな神々の教祖の多くはラジオ商であったという。かれらもまた、厳しく辛い日常の中で、ある日、明滅する真空管の彼方から、不意の吉報を聞いたのかもしれない。いや、たぶんそんなことはないだろう。ただ、小さなラジオの箱を見ていると、起こりえない何かが起こるかもしれないというような、ちょっとした胸騒ぎを覚えるのである。
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