連載コーナー
本音のエッセイ

2012年7月掲載

車の中の荷物

小林 光恵さん/作家

小林 光恵さん/作家
元看護師。著述業。茨城県行方(なめがた)市生まれ。なめがた大使。つくば市在住。マンガ『おたんこナース』、ドラマ『ナースマン』の原著者。エンゼルメイク(亡くなった人の身だしなみの整えを最期の看取りの場面として行うこと)研究会代表。『死化粧 最期の看取り』(宝島社文庫)

実家では、現在、80過ぎの両親が2人で暮らしている。

10年前の5月に、私は買ったばかりのビデオカメラを車に積んで実家へ向かった。その前に会った70を超えた両親が、急に老け込んだように感じられ、遠い先のことではない「親の死」を意識し、元気な姿を映像に残しておきたいと思ったのだ。

しかし、いざ実家に到着すると、ビデオカメラを取り出すことにためらいが生じた。

私の帰省は実に地味な形で、結婚はしたけれど子どもはいないため、いつも1人で静かに帰るだけだ。母親の料理を食べ、テレビを見ながら両親と3人で少し話して1泊する。このワンパターンの帰省を約30年繰り返してきた。記念写真をとったりもしない。

故に、ビデオ撮影はとってつけたような行動であり、「在りし日の親の表情や仕草を残しておきたい」という意図が見え見えで両親に寂しい思いをさせてしまうかもしれないと思った。また、ビデオ撮影したことがあとになって「あの日、ビデオ撮ったのは虫の知らせだったのかねえ」などと誰かに言われる事態にでもなってしまったら大変だという不安も膨らんだのだ。結局、ビデオカメラは車に積んだままで帰省が終わった。

そして今年の5月に私は、ハンドリフレクソロジーの教本とそれ用のアロマローションを車に積んで帰省した。年を重ねた両親に指圧やマッサージをしてあげたいと以前から思っていたのだが、親にふれることに慣れていないため、できないでいた。それで思いついたのがハンドリフレクソロジーの練習台になってほしいという口実である。

しかし、その荷物も車から一度も持ち出さずに終わってしまった。いざとなると、なんだか気恥ずかしく、また、ビデオカメラのときと同様に、し慣れないことをしたらそれが災いのスイッチを押してしまうのではないかと不安になったのだ。

実家をあとにするとき、両親はいつも私の車のうしろに、米、野菜、煮物、お菓子、雑貨だのをぎゅうぎゅうに積み込む。どこにそんな力があるのだろうと思うくらい、小さな身体で速やかに軽くはない荷を車に運ぶ。

今年の5月の帰省時も、両親はお土産をこれでもかと車に積み込んだ。車のブレーキを踏むたびに感じるその荷物の重みは、「まだ大丈夫だから」という両親からのメッセージかもしれないなと、都合のいい解釈をしたのだった。

(無断転載禁ず)

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