批判をする前に
- 武田 双雲さん/書道家
- 1975年熊本生まれ。書道家。現在は湘南を中心に創作活動を行う。映画「山桜」「北の零年」、ドラマ「けものみち」などの題字を手掛ける。また、日テレ「世界一受けたい授業」、NHK「課外授業ようこそ先輩」をはじめとし、多くのメディアに出演中。著書は言葉集「ひらく言葉」(河出書房新社)、作品集「たのしか」(ダイヤモンド社)など。8月6日〜19日に新宿タカシマヤ美術画廊にて個展を行う。
公式サイトwww.souun.net
僕は書道の先生として生徒さんの書いた作品を添削するときに、まずいいと思った箇所を心から褒めた後に、こうしたらもっと素晴らしくなるのではないか、という言い方をするように心掛けています。しかし、世の中を見渡すと「今時の若者は…」と嘆いたり、凶悪な事件があたかも社会全体で起こっているかのように捉えたりする人の話をよく聞きます。そして、「政治家が悪い」とか、「教育が悪いんだ」とか、とにかく誰かのせいにすることが多いように感じます。確かに、欠点を見つけて、その都度修正を重ねていくことが大事なのはわかります。ただ、あまりにも「あら捜し」に偏っているのではないかと感じるのです。書道の添削と同じように誰だって悪いところばかりを指摘されたら、前に進めなくなってしまいます。
先人たちが築いてきた努力の結晶の上に、現代の僕らの生活があります。また、今生きているみんなの日々の働きのおかげで、生きていけている。もちろん人間だから、失敗もあるし、間違った行いに走ることもありますが、それでもみんなが必死でもがいて築き上げてきた歴史があって『今』がある。現在を否定するということは、そういった歴史までも否定することに繋がります。
なぜここまであら捜しが当たり前になってしまったのか。モンスターペアレンツやクレーマーといった人たちは、氷山の一角にすぎず、あらゆる人が無意識にあら捜しをしているのではないでしょうか。例えばファミレスやコンビニに行っても、少し店員の態度が気に入らなかったり、待たされたりすると、その悪いところばかりを見てしまいがち。しかし、そもそもなぜ、こんなに便利なサービスが安価で提供できているのかという視点や、忙しい店員の立場に立って考えるゆとりがあれば、そこまで感情的に怒る必要もありません。お客さまお客さまと丁寧にもてはやされるサービスに慣れ過ぎた日本人は、いつのまにかお金を払う側が偉いという勘違いを引き起こしています。そもそも、払う側も払われる側も気持ちよく、お互いに感謝をもって価値交換するのが資本主義の理想だと僕は思っています。そういった日々の小さなことから始まって、その積み重ねが今の大きなあら捜し問題となっていると思います。
もし、誰かを責めたり、批判するときは、まずは相手の功績を十分認めた上で、改善点を指摘し、お互い高め合いましょう。そんな素敵な関係が増えれば、もっとこの世の中を生きることが心地よく感じられるのではないかと思います。
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