本音といわれても困る
- 玉村 豊男さん/エッセイスト・画家・農園主・ワイナリーオーナー
- 1977年に『パリ 旅の雑学ノート』、1980年に『料理の四面体』を刊行し、エッセイストとしての地歩を築く。旅と都市、料理、食文化、など幅広い分野で執筆を続ける。1989年長野県上田市の「原画廊」で初個展。1994年以後は毎年数回の個展および各地での巡回展を開催している。1991年より長野県東御市在住。2003年には「ヴィラデスト ワイナリー」を開く。HPはwww.villadest.com
本音のエッセイ、というからには、本音のほかに建前があることが前提になっているわけだが、私はこれまで本音と建前を区別してものを書いたことはないし、公衆の面前でしゃべったこともない。もちろん語句の問題では差別用語とか不快用語とかいう規制があって、しばしば理不尽な要求と思いながら従わなければならないことがあるけれども、言論の内容に関しては譲歩したり逃避したりしたことはないつもりだ。
私は自分自身の生活と体験から生まれる意見や感想を本名で発表し、写真でも私生活を公開しているから、多くの人が私の個人情報をたくさん知っている。現在の法律では人に教えてはいけないことになっているような情報を、本人自ら公開しているのだ。最近の往復葉書の返信用には文面を隠すシールが貼られているが、あんなものは苦笑しながら破り去る。
いまの個人情報保護法は、政治家や役人が週刊誌から悪事を追及されるのを避けるために体よく一般人の個人情報を持ち出したおためごかしの法律と受け止めているが、私はもともと国民総背番号制には反対しない。身分を証明するには免許証やパスポートより全国民IDカードのほうが効率的だし、だいいちそこに記載される情報はすでに公表済みのものばかりで、秘密でもなんでもないはずだ。
日本人は、プライバシーにかかわる情報のうちで何が1番大事かと聞かれると、収入、あるいは納税額、と答えるそう
たしかに他人に金銭のことをあげつらわれるのは気持ちのよいものではないが、しかし脱税をしていなければ収入を捕捉されても困ることはない。長者番付の廃止は犯罪の防止に役立つかもしれないが、それを政治家の財産公表に結びつけて論議するのは無理があるのではないだろうか。
本当に大事にしたいプライバシーは、金銭ではない。思想である。国家がなにを要求しようと、時の政府がなにを命令しようと、個人の思想信条の自由だけは、命を懸けて守らなければならない。それを知られて身に危険が及ぶなら韜晦してでも身を守り、最後の瞬間まで身を挺して抵抗する。
まさかそんな時代が日本に来るとは考えてもいなかったが、どうも最近のようすを見ていると、そろそろ危ないゾーンに入ってきている感じが……しないでもない。
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