連載コーナー
本音のエッセイ

2004年5月掲載

お家へ帰ろう

海老名 香葉子さん/エッセイスト

海老名 香葉子さん/エッセイスト
昭和8年10月6日、東京本所生まれ。昭和27年、林家三平と結婚。昭和55年、夫・林家三平の死後、弟子のこん平を始め、30名の弟子を支え、マスコミでも活躍中。また、二男二女の母でもある。長男は林家こぶ平(落語家)、次男は林家いっ平。(落語家)。 著書「ことしの牡丹はよい牡丹」、「海老のしっぽ」他多数。

「お家へ帰えろ、お家へ帰えろう。」と3児の親の息子(林家こぶ平)が口ずさんでいるではありませんか。「なんの唄?」って聞いてみたら、「いまテレビでよく聞くじゃない。あれ。」と教えられた夜、次男(林家いっ平)が、「聞かない?」と言ってCDをかけてくれたのです。私は家事をしながら聞いていましたら、またしても、お家へ帰ろう、なのです。

中学1年の孫娘が入ってきて一緒に口ずさんでいるのです。

お家へ帰ろう、何となくホッとするではありませんか。唄そのものもですが、お家へ帰るという言葉には何とも言えぬ温かな響きが漂っているのです。

もの心ついたころ、お友だちと遊びほうけて、母が、「かよちゃん、ごはんよぉ。」と呼びます。ごはんだから呼ぶのではありません。女の子の私にお手伝いをさせるためです。私はすぐに、お友だちみんなに帰ることを告げ、大きな声で、「蛙が鳴くから、帰えろ。」と調子をあげて、それぞれが家に帰ります。

「ただいまぁ。」手を洗って台所の母の側に立ちました。夕飯の支度をトットとしている母をみつめ、卓袱台に家族8人のお茶碗お箸を並べます。

母は、度々「あら偉いわ、ありがとう。」と私に言いました。兄たちも帰ります。夕げの匂いが外にまで伝わります。ときとして、「兄ちゃん、今日は親子どんぶりよォ。」と先きに報せてあげます。兄たちは「ウン。」と嬉しそうに頷きました。温かい夕ご飯、揃っていただくご飯の幸せはありませんでした。

小学校の5年生までは、私には帰るお家がありました。戦争中、疎開しても、私には帰るお家があるのだ、と思うと淋しさも苦しさも吹き飛ばせたのです。帰るお家があるということは心を豊かにさせてくれます。プラス父や母、肉親の胸でした。「おかえんなさい。」温かな声で迎えてくれる家族です。

そして私は戦火で家も肉親も失いました。孤児になった私には帰る家がありません。焼け跡を歩き親戚知人の家を転々としました。温かく迎えてくれる家など、どこにもありません。悲惨な戦争は子どもをどん底に落としました。そして孤児の私が親になり世代が替わりました。せめて帰ってきた者たちには、「お帰り!」の声だけは返したい。旅先から帰った息子たちには手作りの母の味で迎えたい。お家へ帰ろう、と安堵の気持ちを持ってもらえるように。

(無断転載禁ず)

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