英語の扉を開く鍵は「ものまね」!?
- 鈴木 透さん/慶應義塾大学法学部教授・アメリカ文化研究者
- アメリカで独特な形に発展した文化現象からアメリカ的想像力・創造力の特質を研究。主な著書に『実験国家アメリカの履歴書』(慶應義塾大学出版会)、『性と暴力のアメリカ』『スポーツ国家アメリカ』『食の実験場アメリカ』(中央公論新社)など。
大リーグでの日本人選手の活躍もあって、米国との距離感自体は恐らく縮まっているだろう。だが、仕事柄渡米機会の多い身から見ると、多くの米国民には日本はまだ遠い存在のように思われる。この歯がゆさを痛切に感じる瞬間の一つは、通訳を介した日本人選手へのインタビューだ。直接米国民に語りかけられる機会なのに、本人の声が間接的にしか伝わらず、そこには日米間の壁がまだ横たわっているように思えてならない。
何年も学校で勉強したはずなのに、なぜ日本人は英語を上手に使いこなせないのか?これまでもさまざまな議論がなされてきたが、せっかく海外で日本人が活躍しても、英語での発信力が伴わなければその効果は半減しかねない。早くこれに終止符を打つヒントは、実は「ものまね」だと思う。
先日、DJの小林克也さんが自らの英語勉強法の極意を明かした記事にとても共感した(『朝日新聞』1月14日朝刊)。幼少時からラジオで聞こえてきたさまざまな外国語をものまねしていた小林さんは、高校時代には流れてきたプレスリーの曲をものまねしていたという。
そもそも私たちが日本語を操れるようになったのも、音を聞いてまねる行為を限りなく繰り返したからだが、ものまねには他に大事な要素がある。それは、まねる対象への関心や一種の敬意である。ものまねは、相手を認め、自分との距離を縮めるという、実は魂のこもった言語行為なのだ。
究極のものまね魂は、人生すら変える。最近見たドキュメンタリー映画『ミスター・ジミー』は、その好例だ。ジミー桜井さんは、伝説的ロックバンド、レッド・ツェッペリンのギタリスト、ジミー・ペイジに憧れ、サラリーマン生活の傍ら、ペイジのライブ演奏の「再現」に挑み続けた。演奏手法はもとより、ビデオ映像からステージ衣装のデザインのディテールまで読み取って特注する徹底ぶり。いつしか評判はペイジの耳にも届き、彼が来日。本人に絶賛された桜井さんは、渡米してプロのミュージシャンとして活躍中だ。
ものまねは、親近感を他者への接近へと変換する行為であり、異なる世界の人々をつなぐ接着剤としての潜在力を秘める。日本の英語教育は、そもそも言語行為とは他者との距離を縮めるためにあり、それはものまねの延長線上にあるという点を再認識すべきではないか。他者との壁を乗り越えるための発話という根本が抜け落ちていたら、自己満足の域を出ない。魂のこもったものまねこそ、日本人の英語デビューへの扉である。
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