大音楽家たちの食卓
- 野田 浩資さん/ ツム・アインホルン オーナーシェフ・ドイツ料理研究家
- ■お問い合わせ先
ドイツ料理 ツム・アインホルン
〒106-0032
東京都港区六本木1-9-9 六本木ファーストビルB1F
03-5563-9240
https://www.zum-einhorn.co.jp/
音楽家たちの食卓を再現
私は東京で「ツム・アインホルン」というドイツ料理店を営んでいます。クラシック音楽が好きな私は、音楽家たちが何を食べていたのかを調べ、レシピを再現しています。彼らが食べたであろう料理をエピソードとともに紹介します。
バッハの食卓
バッハの父親は町の楽師でしたが、一つ特技がありました。それはビール造りの権利を持っていたこと。自宅でビールの醸造をしていたため、バッハも小さいころから飲んでいました。当時、飲み水が悪かったせいもあり、ビールは安全な飲み物とされ、子どもの頃から飲まされていたのです。大人になったバッハもビールやワインを底がないほど飲んでいました。バッハ家の祖先はパン焼きの職人で、バッハの名の由来はパンを焼くバッケン(Backen)といわれています。
38歳の時にはライプツィヒの聖トーマス教会のカントルに就任します。ライプツィヒという町は出版社や印刷会社が多くあり、比較的裕福な町でもありました。また、ドイツのなかでも早い時代にカフェがオープンし、バッハは「カフェ・バウム」という店の常連になります。
異国情緒たっぷりな香りと苦みのきいたコーヒーに感動したバッハは『コーヒー・カンタータ』という曲をその店で作曲したといわれています。この店は1720年創業のドイツ最古のカフェで現在でも営業しています。
ベートーヴェンの食卓
生活に厳しい時代、当時豚の餌となっていたジャガイモが低層階級の常食として普及し、ベートーヴェンの家庭でもジャガイモが主食として昼に夜にと、毎日食卓に供されていました。
ある日のこと、ベートーヴェンは伯爵家の娘さんたちにピアノを教えることになります。そこでパーティーが開かれました。ベートーヴェンはピアノを弾き、その後食事を共にしました。その時の料理を見てびっくり、今まで食べたこともないニシンのサラダや豚肉のローストなどがテーブルにありました。これほど料理のおいしさを感じたことは、今までなかったベートーヴェン…。
22歳の時、2度目のウィーンへと旅立ちます。多くの伯爵や侯爵と食事をするようになり、ウィーン料理の「タッフェルシュピッツ(牛肉のブイヨン煮)」や「グラッシュ(豚や牛肉の煮込み)」を食べたことでしょう。この時代にはまだ「ウィンナーシュニッツェル(仔牛肉のウィーン風カツレツ)」は存在していませんでした。
ベートーヴェンの生活も安定してきますが、自分中心型で、わがままになってきた彼は毎年のように家を引っ越し、メイドを雇っても長続きせず、こんな手紙を友人に書いています。「これはという料理を作れる連中はいない。そんな連中の作る料理はありがたいとも思わない」、と。仕事を終え、ホイリゲ(酒場)で一人ワインを飲み、焼き肉やソーセージを食べるのが楽しかったウィーンでの生活だったと察します。
ショパンの食卓
小さいころから虚弱体質であったことから食べ物には常に気を付けていました。唯一好んで食べたのが田舎風のライ麦パンでしたが、すぐに丸薬と煎じ茶を飲んでいました。
16歳で高等音楽学校に入学しますが、その頃、友人に宛てた手紙には医者から薬をもらっていることや、オートミールばかり食べていることが書きとめられています。
家庭では鶏、アヒル、ガチョウ、牛などを飼っていて、鶏類の産む卵はそのまま食卓に、牛はお乳を絞るためでした。お祝い事の時には鶏やアヒル、ガチョウなどの丸焼きが食卓を飾りました。しかし、ショパンはそれらにはあまり手を付けず、せいぜい魚を食べるくらいでした。
パリでは恋人のサンドが「魚のスープ」を作ってくれました。ショパンは食にあまり興味を示さず、肉料理も嫌いでいつも同じようなものばかり食べていました。
作家のバルザックが食事を共にした時のことを知人にこんなことを言っています。「ショパンは小鳥のようにちょっぴり、恥じらうようにしか食べなかった」。
体が弱く偏食が激しかったショパンは39才の若さでこの世を去りました。
再現レシピをお店で提供
期間限定でいくつかの料理をお店で提供しています。また持ち帰りやお取り寄せすることも可能です。音楽家たちが食したであろう料理を食べながら、彼らの音楽・生き方に思いをはせていただきたいと思っています。
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