花巻人形を未来へつなぐ~江戸から次世代へ、技法の繋ぎ手として~

- 菊池 正樹さん/花巻人形工房主宰
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【花巻人形の取り扱い】
https://hanamaki-ningyo.stores.jp/
花巻人形は民藝品店「銀座たくみ」「光原社 盛岡本店」「光原社 仙台店」で購入可能
花巻人形との再会
生活空間に木の温もりや土の香りがする民藝品や郷土玩具を取り入れる。そんな素敵な暮らしを楽しむ若者が増えています。「民藝」という言葉が使われ始めて100年がたち、改めて新鮮に感じられるようです。
私が花巻人形(岩手県)と再び出会ったのは、教育管理職となり、仕事の気分転換に出掛けた蚤(のみ)の市でした。古い花巻人形の和やかな表情に、幼い頃の思い出が重なり、ひきつけられました。
江戸時代、衣装雛(びな)は富裕層向けの高価なものでしたが、花巻人形は庶民でも手に入る土人形として作られていました。桃の節句が近づくと、竹籠に入れられ天秤棒の前後に吊るした売り子がやってきて、人々は毎年1体ずつ買い求め、増やしていったようです。
私が子どもの頃の昭和30年代後半には、庶民の家々にも衣装雛が普及するようになり、雛壇の上段に衣装雛が飾られ、子どもの手が届く下の段には手あかで真っ黒になった花巻人形が並べられていました。
和やかな表情と躍動感のある花巻人形は、その後、東京や京都、大阪で人気が出ました。岩手県内で買い集められた江戸期の花巻人形が、単に高値が付くというだけで全国に散らばって行く状況を知り、自分の手でその流れをせき止めて、いずれは地元・花巻へ戻してやろうと思いました。
やがて蒐(しゅう)集した花巻人形が500体余りとなり、花巻人形の存在を知らない若い人にも見てもらい、地元の宝にしようと、花巻市博物館へ寄贈・寄託することにしました。そのコレクション展の開催にあわせて『花巻人形の愉しみ 江戸時代から次世代へ』(花巻人形工房 2019)限定500部を自費出版しました。
蒐集から復元へ
花巻人形は堤人形(宮城県)、相良人形(山形県)と並び、東北三大人形の一つです。江戸時代から、瓦職人らが用いていた「型作り」の技法を応用して作られ、やがて農家の農閑期の副業などとして広まっていったと考えられています。
花巻人形の特徴は、粘土を前型と後ろ型に詰めて合わせて作る「型作り」にあります。植物染料や顔料を用いた絵付けは、素朴で優しい雰囲気を感じさせます。人形の模様には桜などの花弁が描かれ、中には小石や砂が入っており、手に持って振るとカシャカシャと音がします。
定年退職後、ボロボロになった江戸期の人形を見て、昔の技法を残すことができないかと思い立ちました。美術教師(陶芸が専門)の経験と道具類を駆使して、人形に残された職人の手跡などを手掛かりに型を起こし、復元を始めました。
まず、板状の粘土を前後の型に押し込んで形を作り、乾燥させます。その後、素焼きし、空洞に砂や小石を詰め、底には和紙を貼ります。その上から、貝を焼いて作った胡粉(ごふん)を塗り、植物染料の蘇芳(すおう)(赤色)や藍色などで絵付けします。
技法の「繋ぎ手」へ
独学で解明し、ようやく身に付けた技法を、次の世代の複数の方に引き継ぐことが私の使命だと思い、日本民藝館展へ出品し、入選を続けることで全国に発信するとともに、新たな花巻人形の作り手を探し始めました。
生業(なりわい)としては無理でも、せめて副業としてやってもらうためにも、その販売価格を「作り手」が生活できる妥当な価格に設定し、民藝品店などへの販路を確保し、条件を整えてきました。
その頃、東京民藝協会の定例会での花巻人形の講演会の会場に、花巻人形に対する熱い想いを語る若い女性が現れました。今では、その方に定期的にアドバイスを続けながら、技法の伝授を行っています。その女性は、成形や絵付けはできるようになっています。あとは自分で焼成できることと、元になる「型」を作れるようになれば、私が身に付けた「技法のバトン」を次世代に託せそうです。
民藝の世界では、物を作り出す「作り手」(職人)と、物を販売する「配り手」(民藝品店)、生活で使いこなす「使い手」(消費者)の三つの手が存在するといわれます。私は単なる「作り手」(職人)としてだけではなく、江戸期の職人の手業と想いを引き継ぎ、次の世代の人々へ伝えていく「繋ぎ手」(伝承者)でありたいと願っています。現在は、『花巻人形の愉しみ』(増補版)の出版準備に取り組んでいるところです。
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