ドアをたたく
- 内藤 洋子さん/エッセイスト
- 1949年名古屋生まれ。10代で両親を失い、高校に通いながら家業の金物店を経営。卒業後は薬局店員、警察職員、喫茶店経営を経て40歳から文筆業。栄中日文化センター講師。日本ペンクラブ会員、日本エッセイストクラブ会員。『雲ひとつあり』など著書多数。
定年退職後の60代半ばと思われる熟年カップルを、このごろショッピングセンターなどでよく見かける。男性が「ねぇ、おかあさん」と呼んでいるから夫婦には違いないのだが、2人の動きには明らかにズレがある。妻は前を向いて堂々と歩く。夫の方はキョロキョロしながら妻の3歩後ろを心細げについていく。
そんな夫のファッションセンスは、そう悪くない。今の60代はジーンズを初めて「おしゃれアイテム」として取り入れた世代だ。遠近両用メガネのフレームもそれなりにしゃれていて、70代以上に多い「いかにもの日本のオッサン」とは一線を画している。なのに退職と同時に「金魚のフン」と化す。奥さまも大変だろうが、本人こそつらいのではないか。
私はそんな男性を見ると「カルチャーセンターにどうぞ」と言いたくなる。自分が講師をしているから宣伝するわけではないが、カルチャーセンターは人生をリスタートさせるには格好な場所だ。語学、歴史、音楽、美術、スポーツ、資格系。それはもうさまざまな講座があり、中には、埋もれた才能が開花して、その道のプロになる人もいる。
が、何といってもカルチャーセンターの一番の魅力は「仲間づくり」ができることだ。もちろん本来の目的である「教養を積む」という面でも収穫はあるが、今は長寿社会。余生が30年もある。長い一生を明るく過ごすためには仲間が必要。昔の会社の同僚なんてあてにならない。新しい仲間をつくり、新しい自分をまた育てていく。そこが老いの明暗を分けるポイントだ。
ちなみに私がカルチャーセンターに出合ったのは48歳のとき。ラジオでおしゃべりする仕事が入り、あわてて「話し方講座」を探した。男性講師は元アナウンサー。丁寧な指導に感激するあまり、私も自分の分野のエッセイを教えたくなり、講座を開いて10年になる。講師という立場ではあるが、生徒さんとは親戚以上に仲良しだ。おかげで楽しい60代を送っている。
講演会に呼ばれて行くと、年配の男性から「元○○、前○○」と書かれた肩書の名刺をもらうことがある。
「元」でもなく「前」でもなく、私たちは「今」を生きている。過去の栄光にすがりたくなる気持ちも分からなくはないが、どんなことでもいい。いくつになっても新しいドアをたたく勇気を持っていたいものだ。
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