連載コーナー
本音のエッセイ

2016年5月掲載

自己紹介 53歳、いまの私

井上 都さん/元こまつ座代表、文筆家

井上 都さん/元こまつ座代表、文筆家
1963年、井上ひさし・好子の長女として生まれる。和洋国府台女子高等学校卒業後、家事手伝いを経て、86年こまつ座に入社、2010年3月こまつ座を退社、現在に至る。著書は『宝物を探しながら』(筑摩書房)、『やさしい気持ち』(ベネッセコーポレーション)。

6年前に肺癌で死んだ父親は劇作家だった。井上ひさしという。私は長女で妹が2人の3人姉妹。幼いころに父親を、私には祖父にあたる人を早くに亡くした父は、ずいぶんとお金の苦労をしたようで(誰もが皆、貧しかった時代でもあったが)いつも私たち姉妹にこう言った。

「お金の苦労はさせないからね」

万事に鈍い子どもだった私は、そんな父の言葉を真に受けて、本当にのんびり、のほほんと子ども時代を過ごしていた。親の言われるままに女子高に進み、クラスメートが短大に進学か就職かで悩んでいる時期にも、父が全巻そろえてくれたハヤカワ・ミステリ文庫のアガサ・クリスティに夢中になっていた。

「君はずっと家にいていいよ」

そんな私に、これまた父がなんとものんきな言葉をかけた。これをも真に受けて、本気で思っていた。

「私はずーっと家にいよう」と。

ところが、仲の良かったはずの父と母が離婚した。私たち姉妹の他に、母が代表、父が座付作者として動いていた劇団こまつ座が残された。家を出た母に代わって劇団代表になったのが23歳のときだった。

「親の因果が子に報い…だなあ。君は人身御供のようなものだ」

それが父の嘆きの言葉だった。それから24年、至らぬながらも私なりにこまつ座に若き青春を費やした…つもり。その間、結婚はしなかったが一人息子にも恵まれた。残念なことに息子の父親である彼とは死別したが、かけがえのない思い出をたくさん残してくれた。簡略ながら、ここまでが数年前の私だ。

思ってもいない方向に人生は舵取りをする。私は47歳で劇団から弾かれてしまった。ほとんど同時に、父が死んだ。私に残されたのは、抱えきれないほどの思い出と、自分自身より大切な息子だった。それでも当初は、失くしたものばかりに想いが募り、口を開けば人への悪態と先々への不安、後悔、焦燥、後ろ向きの言葉ばかりだった。そこに震災が起こった。原発が爆発した。命を、家族を、家を、故郷を、一切合切を奪われたあまりにもたくさんの人たちの苦しみの前に、私は打ちのめされた。

「自分の悔しさなんて屁でもない」と。

当たり前と感じているこの日々の暮らしが決して当たり前ではないこと、生と死が毎日の暮らしの中で背中合わせにあること、だからこそ、この一日が宝であるということを教えられた。

この春、私は53歳になった。お金も、定職もない。だけど、私は私。自分の宝物を抱えて今日を生きるしかない。

(無断転載禁ず)

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