「〇〇すれば幸せになれる」は幻想?
- 井桁 容子さん/保育・子育てカウンセラー
- 1976年~2018年まで東京家政大学ナースリールーム主任、東京家政大学非常勤講師として勤務。2018年より非営利団体コドモノミカタ代表理事。保育士としての経験を生かし、ワークショップ・コンサルティングを通じて日本の子どもがおかれる環境の質の底上げに尽力中。
長年、保育・教育・子育て関係等子どもに関わる仕事をしてきて思うことは、結果主義、成果主義のこの国が、どれくらい豊かな能力を持った子どもたちを育て損ねているのだろうということです。日本は、技術の国として頑張って先進国に仲間入りしてきたので、できるだけ「早く、たくさん、均一に」がよしとされました。そして、多くの大人たちが、「できる」「できない」という結果主義、成果主義の視点で人を評価し、子どもの頃から「頑張れば幸せになれる」と言われてきました。その感覚が子育てや、保育・教育の場で、いまだに根強く残っています。しかし、それでは、人は幸せにはなれないことがさまざまな研究で分かってきました。経済学者のダニエル・カーネマンは、それを『フォーカシング・イリュージョン』と表現しました。つまり、〇〇すれば幸せになれるという幻想に焦点をあてて思い込んでしまったと。
乳幼児期は確かにできないことだらけですから「無知で無能で教えてできるようにしなければならない存在」に見えます。しかし、「感じる」力、つまり五感といわれる「味覚」「聴覚」「嗅覚」「視覚」「触覚」は、大人よりも優れているといわれています。例えば、子どもの好き嫌い。わがままや未熟さではなく、大人よりも敏感だから野菜の中に含まれる苦み成分(アク)を感じ取り、食べてはいけないものとして受け入れないようにしているのです。それが、20歳くらいから舌にある味を感じる味蕾(みらい)が壊れていくために食べられるようになるのです。
このように、鈍感な大人たちが「感じること」をおろそかにして、目に見える結果や成果を重視することをしていくと、敏感な子どもたちは、わかってもらえないという無力感から表現することをあきらめてしまいます。そして、身近な大人に認められないと生きていけないと感じ、必死で大人の期待に沿おうとし始め、うまくいかないと生きることは大変だ、自分は生きている価値がないのではないか、と思い始めてしまうのです。
子どもたちは、大人たちを本当によく見ています。大人が子どもを見ている量の何倍も子どもたちは大人を見ています。なので、大人の余裕のなさや不誠実さ、理不尽さは見抜かれてしまうのです。
これからAIとの共生がさらに加速する世界では、覚える力や量、正確さなどはAIの領域。ひとの役割は、しなやかな思考、コミュニケーション力つまり人柄の良さ、感じることからつながり合って助け合う、あるいは、思いがけない失敗をすることから発見するなどが「人間らしさ」として求められているといえます。気楽に、ご機嫌で人とのつながりを大切にする大人がそばにいれば、子どもだけでなくみんな幸せに生きられるということです。
(無断転載禁ず)