「分からない」という時代の歩き方
パラダイムシフトを感じる心
- 旧服部医院を再活用する会 代表
井上 英司さん - 1960年広島県三次市生まれ。1983年東京大学教育行政学科卒業。中国放送(RCC)入社。2015年に早期退職。島根県邑南町宇都井にある父親が遺した築100年の家を改修して移住。いわゆる孫ターン。冬場は玉櫻酒造の蔵人。
質問です。日常生活の中で、もっともモノが腐っている場所はどこでしょうか?—答えは、おそらく冷蔵庫です。必要以上に買い物をして、気づくと底で腐っている。冷蔵庫を処分した知人が言います。「毎日必要な量しか買わないので、食料をダメにすることがなくなった。」
腐敗を防ぐ目的で開発され、普及したのが冷蔵庫。しかし真反対の現象が起こっているのです。当たり前や常識と思っていることが、実はそうではない。それどころか、真逆の結果を生んでいる。価値観の転換=パラダイムシフトです。
クラウドファンディングに挑戦
私は今、島根県邑南町宇都井に住んでいます。家は、去年廃線になったJR三江線の宇都井駅の近く。”天空の駅“と呼ばれた地上20メートルの駅舎は、廃線のニュース映像によく取り上げられました。
この夏、クラウドファンディングに挑戦しました。インターネットを通じて資金を集めるシステムです。宇都井駅のそば、築95年の旧服部医院の建物を改修して、交流を目的としたカフェにするという試みです。最終的に256人の応援があり、337万円の浄財をいただいて目標金額を大きく超えました。
病院跡と宇都井駅には共通点があります。
旧服部医院は大きな梁が残る立派な古民家です。築95年の歴史の重みと、当時の大工技術の粋を目の当たりにできます。しかしその建物は、価値を見いだして保存されたわけではありません。過疎地であるが故に、単に取り残されただけです。
一方の宇都井駅。現役時代の後半、1日の平均乗降客は1人未満でした。しかし廃線後、週末やGWなど休みの時は、広島をはじめ関東や関西からも、結構な数の人が訪れます。理由は、廃線跡を巡るのが好きだ、テレビで見て”天空の駅“を見たかった、などです。廃線になったからこそ、注目を浴びるようになりました。
共通点は、過疎であるが故の「負け組」。しかし今や、負けたからこそ価値が生まれる、という逆転現象が起こっているのです。
価値観が転換する兆し
今の日本は、少子高齢化が進む人口減少社会。経済成長も見通せない状況が課題とされています。
私が住む邑南町宇都井は、この70年間で人口が78%減少。若者は職を求めて流出した結果、高齢化率が56%の限界集落となりました。つまり日本が直面する問題に、50年以上前から向き合ってきました。この地域では今、人口減少の割合が低下傾向にあります。集落も消滅していません。都会が迎える課題を、いち早く乗り切ったようにも見えます。陸上トラック競技に例えると、都会に引き離され、置いていかれた存在が、気がつくと一周遅れて先頭を走っているような状態です。
相変わらず、若者の東京志向は強いようです。しかし東京の出生率は全国の都道府県で最下位。子どもが生みにくい環境といえます。食料自給率(カロリーベース)はたったの1%。空き家については、率は低いものの戸数で見ればダントツで全国1位。生活保護率も高い数字です。都会生活の現実は、楽観できるものではないのです。
ゆとり世代の可能性
若い人も気づき始めています。私は特に、「ゆとり世代」と呼ばれる30歳前後に注目しています。宇都井へ移住してくる、その世代が増えてきました。彼らは頭で考えるよりも、感覚で動きます。組織に所属することにこだわりません。軽やかです。収入や社会的地位よりも、面白いかそうでないか、人の役に立つか立たないか…。我々世代が考える不「正解」を恐れていません。
昭和35年生まれの私が昭和を振り返ると、「正解」があった時代のように思います。多数を占めたコト・モノが勝ち組=「正解」と称され、学校では先生が正しい答えを決めました。その結果、教育現場では一所懸命に知識を詰め込み、仕事では情報収集に努めました。それは「正解」を集める行為でした。しかし平成を経て、何が「正解」か「分からない」という時代に変化したように感じます。そのパラダイムシフトに、頭より感性を信じる世代が先頭に立って対応しているのです。
「分からない」という時代を歩く勇気
旧服部医院の改修作業が始まりました。資金は少ないので、ボランティアが頼みです。20代、30代の若者が手伝ってくれます。遊ぶ所もない、この過疎地に通うのが好きだと言います。地元のお年寄りと話すのは楽しいそうです。パラダイムシフトの波を軽やかに乗りこなす若者たちが、我々が忘れていた宇都井の魅力を再認識させてくれています。萎えかけていた地域の誇りを蘇らせてくれています。旧世代の人間へ、「分からない」という時代を歩く勇気を与えてくれています。パラダイムシフトを信じる勇気こそが、地域を再生する力になると確信します。
「地域再生を考える」編集委員会
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