パラグアイの華やか七彩レース「ニャンドゥティ」〜引きこもりを救ってくれた極彩色の世界〜
- 千森 麻由 さん/ニャンドゥティ講師
- 2011年、パラグアイでニャンドゥティと出合い、技術を習得するため7年にわたり現地に通い、職人たちから直接学ぶ。現地では存続が危ぶまれていることを知り、ニャンドゥティの普及活動を行い、売上の一部はパラグアイ支援団体へ寄付している。著書に『パラグアイの伝統手芸 はじめてのニャンドゥティ』『パラグアイの伝統手芸 もっと楽しむニャンドゥティ』(repicbook)。
https://nanduti.jp
ニャンドゥティって何?
南米・パラグアイに伝わる色鮮やかなレース編み「ニャンドゥティ」をご存じでしょうか?
パラグアイの先住民族・グアラニー族の言葉で「蜘蛛(くも)の巣」を意味する、繊細な手工芸術です。木枠に布を張り、縫い針で模様を編みあげ、最後に布から切り取って仕上げる、とても珍しい作り方をします。
一目で魅了される美しい伝統ですが、完成させるのに手間暇がかかるため、パラグアイでは職人の高齢化・後継者不足・低賃金といった問題を抱えており、深刻な編み手不足といった状況にあります。
ニャンドゥティを後世に残したい。この美しさや楽しさをたくさんの方に知っていただきたい。その想いに突き動かされ、2012年から普及活動を始めました。
ニャンドゥティとの出合い
少しだけ私の話をさせてください。私の両親は不仲で父親はほとんど家に帰って来ず、母親からは虐待を受けていたため非常に引っ込み思案に育ち、自分の意見を言えなかった私は小中といじめを受け続け、とうとう中学3年生の時は引きこもりになりました。それでも高校は行かなくてはと受験をし晴れて高校入学となりましたが、1年生になってすぐに父親の会社が倒産し、多額の借金が残り私は高校を中退。そのまま父親は失踪してしまい、長女であった私が借金を返していくことになりました。
私にはやりたいことも好きなことも夢も希望もなく、毎日を何となく生きていました。そんな頃、自分を見つめ直したくて出た旅の途中でニャンドゥティに出合います。
最初目にした時、「なんて美しい手仕事だろう」とドキドキしたことを覚えています。帰国してからもニャンドゥティを忘れることができず、パラグアイを再訪。言葉も分からず知り合いもいない街で、どうにかニャンドゥティを教えてくれるところを見つけ、「ものづくりの楽しさ」とも出合います。
ニャンドゥティを世界へ広めたい
滞在中仲良くなったパラグアイの友人からこんな話を聞きます。「パラグアイではニャンドゥティを編む人がとても少なくなってきてるのよ。なぜかって?編んでいてもお金にならないから」「このままだといつかニャンドゥティはなくなってしまうかもしれないわね…」
ニャンドゥティの奥深さやその世界にはまり始めていた私はこの話にとても驚き、「そんなことさせない!私がニャンドゥティを広めるよ!」と友人に言っていました。趣味から仕事にシフトした瞬間でした。
私に生きる意味を与えてくれたニャンドゥティやパラグアイに恩返しをする気持ちで、12年たった今でも当初の気持ちを忘れることなく普及活動に力を注いでいます。
主な活動は教室業です。大阪を中心に、兵庫・京都でも開講。たくさんの生徒さまと接する中で「ニャンドゥティを広めたい」と言ってくださる方も出てきました。講師が増えれば、またニャンドゥティが広まる速度も速くなると考え、講師科を設立し、より深いニャンドゥティのテクニックや教え方の技術を伝えています。実際にパラグアイを訪れたり、現地職人からニャンドゥティを購入する方もいてわずかながらパラグアイへ貢献できてきています。
今後は、世界中でニャンドゥティを知ってもらえるよう活動の場を広げていきたいと目標を持っています。手芸界のスタンダードになるところまで、人生をかけてニャンドゥティの良さを伝えていきます。
(無断転載禁ず)