Ms Wendy

2024年9月掲載

江戸時代から続く染織工房 紫草(むらさき)の根、紅花の花びら…

吉岡 更紗さん/染織家

吉岡 更紗さん/染織家
1977年、京都生まれ。2008年から染織史家で染色家の父・吉岡幸雄氏のもとで染色の仕事に就く。2019年に父の急逝に伴い、染織工房「染司よしおか」6代目当主に就任し、国宝の復元も手がける。著書に『新装改訂版 染司よしおかに学ぶ はじめての植物染め』『「源氏物語」五十四帖の色』(原著・吉岡幸雄/ともに紫紅社)がある。京都市東山区にある店舗「染司よしおか京都店」では、植物染のストールなどを販売。
古くから伝わる植物染の技法を貫く

私が6代目を務める染織工房「染司よしおか」は、江戸後期から200年以上続いています。良質な水に恵まれ、日本酒の名産地として知られる京都市伏見区。夕方になると近所の子どもたちが遊ぶ声が聞こえ、どこか懐かしさを感じる住宅地の一画にたたずむ、昔ながらの長屋7棟分をつなげた工房です。

 

私たちは、昔から染料として記録されている、自然界に存在する植物しか使わないと決めています。乾燥させた紫草の根や紅花の花びら、茜の根、刈安の葉と茎などの染料を、地下100メートルから汲み上げた伏見の水とともに色素を抽出します。それをお湯に加えた染色液と、お湯にミョウバンなどを溶かした媒染液に絹や麻、木綿などの天然の素材を手作業で交互に繰り返し浸して色を濃くしていきます。染色液は翌日まで置くと濁るので、毎回その日に使う分しか作りません。

 

染料の植物は国内外から調達しますが、工房の庭に植えたザクロの実などを用いることもあります。また、農家の方が丹精込めて栽培してくださっている畑に、収穫に出向くことも大事な仕事です。

伝統行事にも関わり興味津々だった

現在の工房がある長屋には、父・幸雄が10歳のときに引っ越してきて、祖父・常雄の代まで住居兼仕事場として使われてきました。私にとっては祖父母の家であり、幼稚園や小学校が午前中で終わる土曜日の午後、長屋内にある大叔母の家によく預けられていました。

 

祖父が厳しい人だったので、工房内に足を踏み入れたことはあまりありませんでしたが、大叔母の家の窓から工房をのぞくのが好きでした。染料の匂いや冬場にふわっと上がる湯気、真剣なまなざしで働く職人さんたちの姿など、当時の様子を今でも思い出します。

 

「染司よしおか」は祖父の代から奈良・東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)や薬師寺の花会式、京都・石清水八幡宮の石清水祭などの伝統行事に関わっています。1980年秋には、昭和の大修理を終えた東大寺大仏殿にて落慶(らっけい)法要が盛大に営まれ、祖父が納めた伎楽の装束や、祖父が日本画家の兄・吉岡堅二と共作した大幡などが披露されました。

 

このとき私は3歳で、親に連れられて実際の様子を見ていますが、あまり覚えていません。祖父たちが正倉院宝物などをもとに研究を重ね再現していく過程を知っているのは、その後にテレビで放送されたドキュメンタリー番組に釘づけになったからです。幼少期の私は1人で何回も繰り返しビデオで見ていましたので、今でもその内容もよく覚えています。

祖父との思い出 そして父の代へと…

幼稚園のときから小学校中学年まで絵画教室に通っていて、そこで描いた絵をよく祖父に見せていました。厳しい人だったので、祖父の前では正座して敬語で話すようにしつけられていました。普段は一緒に食卓を囲むことも少なかったのですが、あるときから私が描いた絵を見て「ちょっとうまなったな」と言ってくれるようになったのです。

 

童話の朗読テープを聴いて好きな場面を描いた絵をはじめ、梅の木や菊の花の絵をほめてもらえたのは、うれしかったですね。

 

私が小学4年生のときに祖父は亡くなり、父が5代目当主に就任。父は美術系の出版社を設立し、当時は広告や美術展の催事企画の仕事などで、全国を忙しく飛び回る生活をしていたので、その転身は、幼いながらに衝撃的な出来事でした。

伝統工芸品にふれながら育った

父の仕事の関係で、日本美術の研究をされている方などの来客が多い家でしたが、家業を継いでからも、その関係は続いていました。

 

おっとりとした性格の母からは行儀の基本を優しく教わり、来客時には古伊万里など骨董の器に盛りつけたお料理やお菓子を配膳することが、私たち子どもの役目でした。

 

古典や美術、大和絵などについて熱く語り合う大人たちの会話は、幼いころには少し難しく、ただ聞いているだけでしたが、この頃から父は、古くてよいものを知る機会を与えてくれていたように思います。

大学卒業後はアパレル販売を経験

10代半ばから20代前半は、さまざまなものがアナログからデジタルに切り替わる過渡期だったと思います。中学も高校も老朽化に伴う工事が、卒業後に完了して設備が充実するなど、ちょうどそのはざまの世代だったな、と思います。高校2年生のときには阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件が起こり、世相が大きく変わっていく時期に思春期を過ごしました。

 

そうして変化していく世の中を傍観しながら、おぼろげながら、いずれ私が家業を継ぐのだろうなと感じていました。家業を継ぐことを想定しながら、古いものも好きだったので、歴史学科に進学し、東洋史を学びました。

 

一方で当時は、日本人のファッションデザイナーの次世代が台頭していた時代。アパレル業界に興味を持ち、その頃は就職氷河期時代だったのですが、父の友人の紹介で大学卒業後はイッセイミヤケに入社しました。6年間、販売員を担当して実感したことは「自分がつくりたいものという視点だけでは、商業的に成立しない」「商品のストーリーを伝える人がいるから、お客様に手にとってもらえる」ということ。そして、初対面の方と気後れせずに話せるスキルが身についたことも、販売職を経験してよかったことの1つです。

父からはものを見極める力を学んだ

いよいよ家業を手伝う準備をしようとしたとき、父から愛媛県にある西予市野村シルク博物館で開かれていた染織講座をすすめられ、2年間、実家から離れて一から学ぶことになりました。養蚕農家さんを手伝い、糸を作り、染色し、織って布を作り、仕立てて作品に仕上げるまで、全ての工程を習得しました。蚕の繭から着物に仕立て上がるまでを一通り経験することによって、1枚の布を見た時に、糸や織りの組織や特徴を理解できるようになりました。

 

細かく分業化されている繊維産業において、販売職も含めると、1つの商品になる入口から出口までを経験することはなかなかできないので、全てを経験し、理解が深まったことは、今思うと大きな強みになっていると思います。

 

その後、2008年から、父が心筋梗塞で急逝する2019年9月まで、父のもとで染織職人として働きました。植物染の奥深い温もりを感じさせる美しい色に魅せられた父は、化学染料を一切扱わない決断をしていました。今も当工房で活躍する染師の福田伝士と二人三脚で、植物染で日本の伝統色を再現することに半生をかけたのです。

 

毎年初夏になると、東大寺の修二会で飾られる椿の造花に使用する染和紙を作成するために、三重県伊賀市の農園に出向き、紅花の花を収穫します。このように古社寺の行事に関わる仕事では、季節ごとに必ず行うことがあります。父とは時には行動をともにしながら、同じ季節を10回以上過ごしました。

 

父は前職も含めて古いものにたくさんふれてきた人です。古布を調査するとき、普通はルーペで観察して、糸の太さや密度、織の組織、色の成分分析をする方が多いのですが、父は肉眼で布全体を見て、長年の経験から何で染められていて、いつ頃の年代にどの地域で織られたものか、という背景を含めて、考察していました。

 

父は「データなどの数値に惑わされずに、自分の目で物を見つめる目を鍛える」「ものの良し悪しを見極める力を身につけてほしい」ということを、身をもって私に教えてくれたのだと思います。

スタンダードなものづくりをしたい

古社寺の伝統行事に関わる仕事は、私たちの都合で休むわけにはいきません。「何があっても続ける」という強い意志で、染司よしおかの6代目を継承しました。商業施設などからの注文に応え、植物染のストールやバッグなどの自社商品もつくる日々。父の代から続けてきた仕事に粛々と取り組み、工房と直営店を運営しています。

 

「昔ながらの植物の色がいいね」とよく口にしていた父。私も、いにしえから伝わる植物で染めることに、大きな価値を見いだしていて、記録に残っていない植物で染めるチャレンジをしたいとは思わないのです。

 

さまざまな経験を積んだ今、ものづくりについてこんなふうに思っています。「自分のアイデアを全面に出して表現するよりも、長く人々から親しまれてきたものを守り続けたい。ブラッシュアップはするけれど、スタンダードなものづくりをしたい」と。

 

以前は規格が厳しく、少しの色ブレも許されないこともありましたが、現代では、手染めや手織りならではの風合いや1点1点の違いも理解されるようになりました。よい意味で変わらずにクオリティーを保ってきた私たちの手仕事が、今の時代に受け入れられていることにありがたみを感じながら、仕事に邁進(まいしん)しています。

(京都市の染織工房「染司よしおか」にて取材)

  • 染織工房「染司よしおか」にて。化学染料を扱わず、いにしえから伝わる植物で染め、奥深い温もりを感じさせる美しい色を出している

    染織工房「染司よしおか」にて。化学染料を扱わず、いにしえから伝わる植物で染め、奥深い温もりを感じさせる美しい色を出している

  • 幼少期。工房にて。父、姉2人と。一番右が本人

    幼少期。工房にて。父、姉2人と。一番右が本人

  • 小学生のころ。右が祖父

    小学生のころ。右が祖父

  • アパレル会社に勤務していたころ

    アパレル会社に勤務していたころ

  • 2011年ごろ、鎌倉にて。父、知人と一緒に

    2011年ごろ、鎌倉にて。父、知人と一緒に

  • 2017年ごろ。刈安染の作業中

    2017年ごろ。刈安染の作業中

  • 染司よしおか京都店の外観

    染司よしおか京都店の外観

  • 吉岡 更紗さん

(無断転載禁ず)

Ms Wendy

Wendy 定期発送

110万部発行 マンション生活情報フリーペーパー

Wendyは分譲マンションを対象としたフリーペーパー(無料紙)です。
定期発送をお申込みいただくと、1年間、ご自宅のポストに毎月無料でお届けします。

定期発送のお申込み

マンション管理セミナー情報

お問い合わせ

月刊ウェンディに関すること、マンション管理に関するお問い合わせはこちらから

お問い合わせ

関連リンク

TOP