Ms Wendy

2025年4月掲載

万人から面白いと言われなくても 一人の誰かに届く言葉

小島 慶子さん/エッセイスト、メディアパーソナリティ

小島 慶子さん/エッセイスト、メディアパーソナリティ
1972年、オーストラリア生まれ。父の転勤により、幼少期はシンガポールや香港でも生活。95年、TBSに入社。アナウンサーとしてテレビ、ラジオに出演。99年に『第36回ギャラクシー賞DJパーソナリティー賞』を受賞。2010年に独立。メディア出演のほか、『VOGUE JAPAN』『講談社mi-mollet』『日経ARIA』など連載多数。自身の経験をもとにした執筆や講演活動について「人生の戦場リポート」と位置づけ、多くの人の共感を呼んでいる。
好奇心旺盛な幼少期 異国の探検が原体験

父の勤務先だった、オーストラリアのパースという街で生まれました。3歳で、東京・清瀬市へ。そこで、家族以外の日本人の子どもを初めて見たんです。女の子が砂場で遊んでいるのを見て、「あれがもしや、本に出てくる“お友達”というものか!?」と思ったことを覚えています(笑)。

 

その後も父の転勤で、7歳でシンガポール、8歳で香港に行きましたが、どちらも私は好きでした。当時のシンガポールは、まだ高層ビルがたくさん建つ前。活気があり、緑豊かで、ブーゲンビリアの花がきれいで…。東洋と西洋が混在している雰囲気は、幼い私にとっても魅力的でした。商社勤務の父は忙しい人でしたが、ドライブによく連れて行ってくれ、いい思い出がたくさんあります。

 

当時好きだったのは、絵を描くことや、探検。シンガポールや香港にはいろいろな国の人が住んでいて、同じマンションの同じ間取りの部屋で、違う人たちが違う暮らしをしているんです。見たことのない家具、お料理の匂い、聞こえてくる言葉…。同じ空の下に、いろいろな人が暮らしているんだと感じることが、好奇心旺盛な子どもにとっては楽しくてしょうがなかったです。短い期間でしたが、海外での日々は私の原体験として強く残っています。

帰国子女が珍しい時代 コミュニティーで苦労

私は背が大きく、どこに行っても目立ってしまう子どもでした。陽気でしたが、子どものコミュニティーにはうまくなじめず。妙に悪目立ちしてしまうところをなんとかしたいと思っていたけど、どうすればいいかわかりませんでした。いじめられる理由なんて、本人にはわかりませんよね。

 

シンガポールも香港も大好きだったけど、9歳で東京に戻ってきたときはうれしかったです。ただ同級生と共通の話題がなく、「シンガポールではこうだったよ」という話をするしかないのですが、当時は帰国子女が珍しかったこともあり、「慶子ちゃんはいつも外国の自慢をしている」と言われてしまいました。親が中学受験を勧めてくれ、進学塾に通い始めると、周りは目的が同じ子たちばかりで楽しかったです。幸い、第1志望の一貫校に合格することもできました。

 

通学に片道2時間弱かかるので、朝練のある部活はできず、中高は文化部。好きなものに出合うとのめり込むけれど、「退屈だけど続けてみよう」という発想がなく(笑)、いくつもの部を転々としました。こらえ性がないように見えたと思いますが、私にとってはどれもいい思い出。決して無駄ではなかったと思います。

暗黒の中学時代に習得 人間関係における「型」

塾では「努力すれば夢はかなう、勉強は裏切らない」と言われたのに、私立に入り、家柄など何もかも別格の世界を見て、少しぐれました。先生に反抗してみる程度でしたが、成績も落ち、中学3年間は私の暗黒時代。でも私は、ぐれることにも飽きちゃうんです(笑)。

 

外部から新入生が入る、高校にあがるタイミングで生まれ変わると決めました。人気のある子を観察して、間の取り方やリアクションといった“型”を習得したんです。

 

それを実践すると、高校にあがってたった1カ月で、人から見た私の印象が変わりました。楽勝じゃん!と思い(笑)、次々と型を試すうちに友人が増え、いつからか型を意識せずとも、愉快に暮らせるようになりました。

 

そうした型は、社会に出てからも使いました。「若手女性アナウンサー」の役割をうまくやっている人を観察してまねることで、表面上、それができるように。他にも、お世辞というものは双方承知の上で成り立つ「儀式」であり、「今日もよろしく」というあいさつなんだなとか。型をまねて、なぜそれが型として成立しているのかを考察し、使い分ける。

 

このベースは、中学時代に作られたものかもしれません。まねることが、必ずしも自分を押し殺すことだとは思いませんでした。あくまで、いくつもある型の1つだと。もちろん、型を押し付けられるのは苦痛ですが。

世の中をよくしたい マスコミの世界

「NHK特集を作る人になりたい」と思ったことが、マスコミを志した最初のきっかけです。同時に、当時のテレビでは、アナウンサーがタレントのようにフィーチャーされていて、楽しそうだなと思いました。経済的に自立したいというのも、志望理由の1つ。男女雇用機会均等法が施行されたとはいえ、総合職の女性なんてひと握り。ならば、成績が重視されないマスコミを目指そうと決めたのが、大学1年生のときでした。実は当時、失恋をしたんです。「高給取りの妻」になるために恋の野戦場で戦うよりも、就活の戦場のほうが勝算があるだろうと(笑)。

 

放送という仕事を通し、世の中に貢献したいと思っていましたが、重きを置かれたのは、新人であることや、若いこと。まるで獲れたてのイワシの売り出しのような扱いになじめず再びぐれてしまい、髪を刈り込んで、求められる「若手女性アナ」の真逆をいきました。

 

反感も買いましたが、上司に恵まれ、ラジオや生中継の仕事を担当したことが転機。ラジオでは賞も頂き、放送は本当に人に届いているんだと感じました。万人から面白いと言われなくても、たった一人でも誰かが受け取ってくれるのなら、この仕事はやる意味があると思います。そしてその思いは今も、書く仕事にも通じています。

どの業務も軸は同じ 「一人の誰かのために」

TBS時代は、ワークライフバランスの制度を整備する仕事にも携わりました。会社の制度を変えると、顔を知っている誰かの生活の質がリアルに向上するんです。育休を1年から1年半に延長すると、「ありがとう」と言ってくれる人がいる。それは、1000万人に「あの人、テレビで見たことある」と言われるよりも、私にとって価値のあることでした。アナウンサーが組合活動をすることに対する反感からかアンチもいましたが(笑)、労働組合での9年間の経験は、今でも私の話すこと、書くことの背骨になっています。

 

その後、結婚して育児をする上でも、知恵を絞って整備した制度はプラスになりました。働く人の権利について日常的に考えていたので、育休復帰後に出演番組がなくなり、日がな電話取りをしていた時期も、これも大事な仕事だと考えていました。「出番もないのにいつまで会社にいる気ですか」と心無いことを言われたこともありましたが、出演だけが仕事ではないとプライドを持って電話を取っていました。

親の役目は真正親バカ 日豪往復も

30歳と33歳で出産。約10カ月間、自分の中に「知らない人」がいることが不思議でしたが、かつてお腹の中で点だった存在が名前を持ち、個性を表し、ヒトから人になっていく過程を見るのは楽しかったです。子どもにも言うんです、「私は君たちが点だったときを目撃しているんだぞ」と(笑)。

 

私は「真正親バカ」と呼んでいるのですが、親バカをやることぐらいしか、親が子どもにやってあげられることはないと思います。親じゃなくてもいいのですが、誰かたった一人でも、心の底から本気で「君は素晴らしい」と言ってくれる人がいれば、何より心強いですよね。もちろん子どもは、いずれ人間社会という森に返さなくてはなりませんから、暴力を振るってはいけない、言ってはいけない言葉がある、といったことは教えましたが、ベースにあるのは、「君は、君であることが素晴らしいんだ」という思い。「お腹の中で点だったときから君は素晴らしい」と確信を持って言っています。

 

2014年、オーストラリアに引っ越した当時、息子は小学校2年生と5年生。夫は子育てに専念し、私は日本で仕事をしながら、当初は3週間ごとに日豪を往復しました。レギュラー番組をほとんど降り、豪州での子どもとの時間を最優先して仕事を断ることも。やはり、なるべくそばにいてあげたかったですから。日本にいるときは懸命に働きました。書く仕事もしながら、当時40代で体力があったことが幸いでした。

50歳を過ぎてなお“一人の新米”に

昨年から私は日本に定住し、下の子も大学生になって、もう手がかからなくなりました。空の巣症候群のようになった時期もありましたが、去年の終わり頃にふと、習い事をやってみようと思い立ちました。

 

インスタグラムでフォローした書家の先生の個展に足を運び、入門することにしたんです。その先生のつながりで、お茶の先生にも巡り合うことができ、久しぶりに茶道を再開。すると今度はお茶の先生のご紹介で能楽師の先生とのご縁を頂き、仕舞と謡を習い始めることに。別の出会いもあり、香道も体験してみようと思っているところです。出会いやタイミングは大事ですから、やってみようと思ったことは全部やってみる。そんな心持ちで生きているうちに、なぜか最近は、お坊さんのお友達も増えました(笑)。

 

50歳を過ぎるとどこに行っても先輩と呼ばれ気を遣われますが、習い事の世界に入れば、先生も先輩のお弟子さんも私より年下。仕事のキャリアは何の役にも立たず、私は一人の新米にすぎません。人前で失敗し、注意され、下手な謡を歌い、恥をかき…。それが今、すごく楽しいんです。

(東京都内にて取材)

         
  • 3歳ごろ、オーストラリアのパースの自宅近所の緑地で

    3歳ごろ、オーストラリアのパースの自宅近所の緑地で

  • 小学生のとき。香港にて

    小学生のとき。香港にて

  • 中学生時代

    中学生時代

  • TBSアナウンサー時代。2000年ごろ、フロリダロケで

    TBSアナウンサー時代。2000年ごろ、フロリダロケで

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  • TBSアナウンサー時代。2008年ごろ、政治討論番組で

    TBSアナウンサー時代。2008年ごろ、政治討論番組で

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  • NHK Eテレ『あしたも晴れ!人生レシピ』にて、人生後半の宿題についてトーク

    NHK Eテレ『あしたも晴れ!人生レシピ』にて、人生後半の宿題についてトーク

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  • 小島 慶子さん

    (C)河内彩

(無断転載禁ず)

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