Ms Wendy

2025年2月掲載

ヒマラヤに魅せられた看護師 日本人女性初、8000m峰14座制覇!

渡邊 直子さん/看護師・登山家

渡邊 直子さん/看護師・登山家
1981年生まれ、福岡県出身。長崎大学水産学部卒業後、日本赤十字豊田看護大学看護学科卒業。看護大学在学中、24歳のとき8,000m峰のチョ・オユー(標高8,201m)に登頂。2024年、シシャパンマ(標高8,027m)登頂に成功し、日本人女性として初めて世界に14座ある8,000m峰をすべて制覇した。これまでに8,000m峰を登った回数は30回(世界女性最多記録)。その活躍は『情熱大陸』『クレイジージャーニー』でも紹介された。今も看護師を続けながら、8,000m峰を登り続けている。
私の冒険は3歳から始まった

世界には最高峰「エベレスト」(標高8848m)をはじめ、8000mを超える山が14座あります。2024年10月、私は自身14座目となる「シシャパンマ」の登頂に成功し、日本人女性で初めて全制覇を達成することができました。

 

思い起こせば、私の冒険は3歳から始まりました。きっかけをくれたのは母です。母は看護師で、障害児養育施設で働いていました。その施設が毎年夏に行う森のキャンプに3歳から1人で参加していたのです。

 

小学4年生になると、NPO法人「遊び塾ありギリス」が募集した中国無人島キャンプに参加。子どもの冒険を後押しする団体で、親の付き添いなくサバイバルや雪山登山を経験したことが今につながりました。

 

母の狙いは3つ。一人っ子の私に兄弟のような友達をつくり、また、親がいなくなったときに頼れる大人をつくること。そして、海外、特にアジアの国を見せて日本がどれだけ恵まれているのか知ってほしいということでした。引っ込み思案の性格も改善され、小学校でいじめに遭ったときも、冒険仲間のコミュニティーがあったからつぶされることはありませんでした。今は世界中の登山家やシェルパが友達です。

 

ただ、私がまさか8000m峰に行くようになるとは思わなかったのでしょう。母は私がヒマラヤへ行っている間、毎日神社にお参りし無事を祈願してくれていました。

目標は登頂ではなく山での生活を楽しむこと

中学1年のとき、初めてパキスタンの高所登山(4700m)を経験し、高山病にもなりました。頭痛と怠さでまったく動けない。でも、そうなった自分を面白いと思えました。

 

その上パキスタン人のポーターはかなりいい加減で、隊から逃げたり物を盗んだり問題だらけ。なのに、大人のスタッフはそれをネガティブに捉えていないように見えて、ハプニングも含めた約半月間の“遠征”がすごく楽しかった思い出があります。

 

長崎大学1年のとき、「ありギリス」の仲間4人で行ったマルディヒマール(5587m)登山では、途中で離ればなれになり、日没で道に迷ってそれぞれが遭難。死と隣り合わせの経験もしましたが、お互いに「怖かったね」より、「面白いエピソードができたね」という感じで、雪山登山におじけづくことはありませんでした。

 

標高がさらに高くなれば、遠征期間も延びて、もっと楽しくなるに違いない。私にとって、その延長線上にあったのが8000m峰だったのです。

 

ただし、「登頂は目標にしない。救助の必要な人がいたら一緒に引き返す気持ちで行こう」が隊長から言われた言葉でした。今もそのスタイルは変わっていません。

看護師になったらヒマラヤには来られない

ヒマラヤ登山で隊の保健係を担当したのをきっかけに、長崎大を卒業してから看護大学に入り直しました。昔から母に看護師を勧められていたものの、当時は人とのコミュニケーションが苦手な自分には不向きだと思っていたのです。でも、ヒマラヤでは心がオープンになり、誰かと話したくなる。それが本当の自分なら看護師になれると考えました。

 

けれども看護師として病院に就職すれば、休みは少なく、遠征が最低2カ月にもおよぶ8000m峰遠征には行けません。まず、誘われるままに初めて8201mのチョ・オユーに登り、登頂。看護大最後の春休みには6000m級の山に登りました。

 

このとき、背の高い英国人男性と一緒に登ったのですが、最初こそ私が遅れをとっていたものの、高度が上がるにつれて男性のほうが遅れ始め、156㎝の私に軽く追い越されて、後をついてくるのが必死という感じでした。その人が「世界最高峰のエベレストに登頂した」と聞いて、エベレストが急に身近に感じられたのを覚えています。

 

「彼に登れるなら、絶対、私にも登れる」。日本に帰ってもその思いが頭から離れませんでした。そして2年後、病院を退職し、ついにエベレストへと向かったのです。

勇気ある撤退の決断が生死を分けた

ところが、頂上の150m手前で急に天候が変わり、強風のために視界が失われる事態に陥りました。この状態でもがんばれば登頂はできる。でも、もっと天候が悪化したら下山できないだろうというのが私の判断でした。

 

しかし、下山途中に思わぬアクシデントに見舞われました。高山病の影響か、一時的に目が見えなくなってしまったのです。そのせいで滑落したり、クレバス(雪渓の深い割れ目)が暖かい場所に思えて吸い込まれそうになったり。ガイドのシェルパに助けられ、どうにか最終キャンプ地まで下りることができました。

 

登頂を目的にすると「自分はまだ大丈夫」とボーダーラインを超えて無理をしてしまいます。その結果、死に至ったり凍傷になったりするのです。でも、私は「楽しむ」ことが目的ですから、自分の力量に合わせて臨機応変に行動することを第一に考えます。結局のところ、自分をどれだけ知っているかが生死を分けるのだと思います。

 

もちろん生きていればこそ、再挑戦もできます。いったん日本に帰った私は、また看護師として2年働いたあと、エベレストに再びチャレンジ。今度は登頂に成功しました。

14座制覇を最初に達成するのは私!

その後は、夜勤専従のパートと単発派遣をかけもちして寝る間を惜しんで働き、コツコツ資金を貯めてヒマラヤに通う生活が始まりました。ヒマラヤ登山は私の人生の一部になったのです。それから6年かけて14座ある8000m峰のうち5座に登頂成功。登頂数を7座に伸ばし、日本人女性初の記録となりました。ただ、その頃はまだ14座を達成しようという目標も持っていませんでした。

 

ところが、ふとまわりを見渡すと、14座を目指して、1年に何座も登頂する人たちが増えていることに気が付きました。社会人も経験していないような10代、20代前半の女性も多くいました。その姿を見て、私の心に火がつきました。「汗水たらして働くこともなく2、3年で14座登頂の記録を先に越されたくない」という闘争心が芽生えたのです。

 

じゃあ、1年で残りの7座を登り切るにはどうすればいいか? 看護師の収入だけではどうしても間に合わないと考え、今までちゅうちょしてきたテレビや雑誌の取材を受けることにしました。まずは世間に私の名前を知ってもらわなければスポンサーも見つかりません。そして、いくつかの企業とスポンサー契約を結んでいただき、さらにクラウドファンディングでも支援を募り、約1年で6座を一気に登りました。

 

残るは「シシャパンマ」ただ1座です。

ついに14座目成功!登頂の瞬間、涙が…

翌年、1回目のチャレンジは失敗。翌年の春は中国政府の入山許可が下りず、昨年秋、待ちに待った日がやってきました。

 

ベースキャンプには世界中から登山家仲間が集まっており、そのなかには、私と同じようにシシャパンマが最後の1座という人が20人以上いました。成功すれば母国初、世界最年少という記録達成を控えていた人たちばかりです。こんな状況は二度とないと思いました。

 

肝心の私はといえば、マナスル登頂アタック時で失禁したあと立て続けの登山だったこともあり、ダウンスーツが汚れていました。「さすがにこのスーツで記録を達成したくない」とベースキャンプで思い切って自分で洗濯したのですが、通常1週間かかるところを2日で乾かさなくてはならなくなり、とにかく必死でした。そのためのテントを立て、中にロープを張って、お餅を焼くように表裏をひっくり返しながら2日間、片時も離れることができません。ギリギリで間に合い出発できましたが、登頂した喜びより安堵感のほうが大きかったというのが正直な気持ちです(笑)。

 

でも、登頂しカメラを向けられた瞬間はやはり涙が出ました。景色がすばらしい時間帯に頂点に立つことができ、無事に14座を登り切れた感謝が体の奥底から静かにわきあがってきました。

初心者でも8000m峰は登れる

この1、2年は「14座を達成したあとの目標は何ですか?」と聞かれることが多かったです。

 

大きな目標の1つは、初心者をヒマラヤに連れていくこと。といっても、登頂のみが目的ではありません。登山に興味がない人も、精神的に疲れている人も、ベースキャンプに行くだけですごく楽しいところなので、まずはその場所を見せたいと思っています。

 

エベレストのベースキャンプはみなさんの想像よりずっと発展していて、まるで街のよう。Wi-Fiもつながっていますし、シェフがいて世界各国の料理を食べることができ、カフェやバーもあります。またモデル、女優、王族、元オリンピック選手なども登りに来ます。自分の隣に王女がいるのも特別なことではありません。上下関係などなく、ただの人間同士として話せるのが山のいいところなのです。そんな人たちの話を聞くだけでも、人生の勉強になるとは思いませんか?

 

ゆくゆくはネパールに拠点を持ち、ヒマラヤで生活したいと準備も始めています。そこで子どもたちを受け入れ、自分がしてもらったようにいろいろな冒険をサポートするのも目標の1つです。私が体験したさまざまなことを彼らに直接伝え、教えることも、今の私の役割なのかなと思い始めているところです。

(東京都港区にある国際文化会館にて取材)

         
  • 2024年10月、シシャパンマ登頂に成功。「8000m峰」全制覇は日本人女性初

    2024年10月、シシャパンマ登頂に成功。「8000m峰」全制覇は日本人女性初

  • 幼少期に母と。福岡県にある英彦山にて

    幼少期に母と。福岡県にある英彦山にて

  • 小学4年生の時。初めて中国無人島キャンプに参加

    小学4年生の時。初めて中国無人島キャンプに参加

  • 小学4年生の時の年末年始。八ヶ岳にて。初めての雪山

    小学4年生の時の年末年始。八ヶ岳にて。初めての雪山

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  • 中学1年生の時。パキスタンにて、初めての高所登山

    中学1年生の時。パキスタンにて、初めての高所登山

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  • 29歳。初めてのエベレストに行くため看護師を退職した日

    29歳。初めてのエベレストに行くため看護師を退職した日

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  • 2006年、「チョ・オユー」に登頂

    2006年、「チョ・オユー」に登頂

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  • 渡邊 直子さん

(無断転載禁ず)

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