Ms Wendy

2024年3月掲載

不良少女役で大ブレイク 愛車はシーマ。走行距離27万キロ!

伊藤 かずえさん/ 女優

伊藤 かずえさん/ 女優
1966年、北海道生まれ、横浜育ち。78年、映画『花街の母』でデビュー。『燃える勇者』で真田広之とW主演を務めて一躍話題に。TVドラマでは84年の『不良少女とよばれて』を皮切りに、不良少女役で大ブレイク。『ポニーテールはふり向かない』で初主演を果たす。その後も『ナースのお仕事』シリーズなど数々の人気作品に出演。2022年、YouTubeチャンネル「やっちゃえ伊藤かずえ」を立ち上げ、あっという間に登録者数が5万人を突破するなど大きな話題を呼んだ。
小学生で映画デビュー 女優の仲間入りを果たす

私は北海道で生まれました。当時、父が北海道のお菓子問屋に勤めており、小さいころは、その問屋さんに行ってお菓子をもらうのが楽しみでした。その後、父の転職に伴い、家族で横浜に引っ越し。父は日産自動車で整備士となった後、同中古車センターの店長を務めました。

 

私は6歳のとき児童劇団に入団。もともと大人しい性格で友達も少なく、心配した母が社交性を身につけさせようと、習い事の1つとして入れたそうです。行ってみるとお芝居だけでなく、バレエやパントマイム、歌のお稽古などもあり、楽しかった思い出があります。性格そのものは変わりませんでしたが、「お芝居が好き」という気持ちは大きくふくらみました。

 

その後、10歳のときスカウトされ、映画『花街の母』に出演しました。私のデビュー作です。

2万人の中から超人気俳優の相手役に

中学生になり、今度はテレビの時代劇ドラマ『江戸を斬る』にゲスト出演することに。涙を流しながら長台詞(ぜりふ)を言う難しい役でしたが、それが事実上の『水戸黄門』のオーディションとなり、無事合格。ご長寿人気番組のレギュラーに抜擢(ばってき)していただきました。

 

『水戸黄門』の撮影が終わると、次はアクション映画『燃える勇者』のオーディションでした。当時、人気絶頂だった真田広之さんの相手役ということもあり、応募総数は約2万。そのなかでまさか自分が選ばれるとは、思いもしませんでした。

 

その映画で注目されると、レコード会社から「歌でデビューしませんか?」とのオファーを頂き、またまたびっくり。10代半ば、アイドル全盛時代の中、小泉今日子さんや中森明菜さん、早見優さん、堀ちえみさんらに交じって、私も歌の活動を始めました。

不良少女役でブレイク 大げさな台詞、今も暗記

16歳から21歳ぐらいまでの約5年間は、大映制作のドラマシリーズに出ずっぱりでした。『不良少女とよばれて』のオーディションで最後まで一緒に残った伊藤麻衣子さんが主役、私が敵役で、そのドラマがヒット。以降、一連の大映ドラマの主要キャストとしてレギュラー出演させていただきました。

 

あのころは、今と違って1本のドラマが半年間放送され、放送中の最後の撮影と、新ドラマの最初の撮影が重なる強行軍。最終回に近くなると、語りが長かったり、泣いたりと大変なシーンが続く一方、新ドラマではまったく別の人間としてフレッシュに演じなければなりません。初主演を務めた『ポニーテールはふり向かない』では、ドラマー役だったので、ドラムの練習まで重なり、ごまかしがきかない手の振りを覚えるのは本当に大変でした。

 

大映制作のドラマといえば、時代劇のような台詞も話題になりました。視聴者のみなさんにとってはインパクトがあり、感動もしていただけたようですが、演じるこちらは台本を読みながら大笑いしてしまう場面もありました。

 

たとえば、「恋は壊れやすいのよ。ビタミンCのように」とか、「勝ったほうが負けたやつの骨壺を蹴とばすまでさ」とか。でも、何十年も前の台詞なのに、いまだに覚えているのは、脚本家の力量のすごさだと思います。

堀ちえみさんは芸能界の恩人

このころの私は、誰が見ても順調な女優人生を歩んでいたと思います。しかし、内側には大きな悩みを抱えていました。あれだけTVに出ているのに、事務所のお給料がとても低かったのです。月に数万円ということもあり、共演者たちからも「それはおかしい」と指摘されるほどでした。

 

その時期は、「女優の仕事なんていつまで続くかわからない」という漠然とした不安にもかられていました。元来の真面目な性格から、「手に職をつけておかなければ」と思い悩んだ末に、仕事の傍ら文化服装学院の通信教育でパタンナーの技術を1年かけて習得しました。

 

そんなとき、『花嫁衣裳は誰が着る』で共演した堀ちえみさんが力を貸してくれたのです。ドラマでは敵対関係でしたが、実際は仲がよく、「私がホリプロを紹介する!」と当時の社長に話をしてくれ、20歳で事務所を移籍。今も仕事が途切れず続いているのはホリプロ、そして、ちえみちゃんのおかげです。彼女がいなければ、芸能界に長くとどまることもなかったかもしれません。

 

そればかりか、20代は2時間ドラマのレギュラー主演などもやらせていただき、ついには27歳でマイホームまで建てることができました。数えてみたら、そのとき組んだ30年ローンも残り1年。仕事量に見合う報酬をいただけるありがたさをあらためて感じています。

30代で初のコメディ 役づくりに苦労した

30代では、『ナースのお仕事』(パート2から参加)というヒット作に恵まれました。看護師役の所作の難しさに加えて、初めてのコメディーということもあり、役づくりでは苦労しましたが、やりがいのある作品でもありました。

 

主演の観月ありささんをはじめ、背が高く手足の長いみなさんと毎回大声を上げながらテンション高く演じていたせいか、楽しい半面、1日の撮影が終わると腹筋が痛くなることも。このドラマは映画化もされ、私はちょうど娘を妊娠中だったので、出番を少し短くしていただいたのを覚えています。

愛車シーマとの出合い 走行距離は地球6周半

そうした女優生活を、「自宅と撮影現場を往復する足」として雨の日も風の日も支え続けてくれたのが、愛車・日産シーマ(初代シーマFPY31型)です。父が日産社員ということもあり、自然と日産車を選んできましたが、シーマと出合ったときは24歳。「この年齢の女性でシーマは普通、選ばないよね?」と思いつつ、試乗してみると、車体が大きい割に小回りが利き、出足もよくて、見た目よりずっとスポーティー。すっかり気に入りました。

 

実際に乗ってみると、高級セダンだけに乗り心地も快適で、長距離を運転しても疲れません。その後、シーマよりいい車が現れずに、いつの間にか33年。現在の走行距離は27万キロオーバーで(2023年11月現在)、これは地球6周半分に相当するそうです。

走る思い出のアルバム シーマをレストア

シーマとの思い出は尽きません。2時間ドラマの撮影で京都通いをしていた20代は、新幹線ではなく、いつも自分でシーマを運転して向かいました。片道約500キロの道のりを5時間ちょっとで京都へ。そこから約2週間の撮影期間、ホテルからロケ現場まで毎日車で往復しました。たまの休みは気分転換で嵐山までドライブ。まさに私の相棒です。

 

また、娘が生まれて病院から自宅に戻るときもシーマ。その娘が18歳で免許を取り、初心者マークを貼って初めて運転したのもシーマ。シートはへたり、父と塗り直した塗装はまだら模様になりましたが、いい思い出がたくさん詰まっています。

 

そんなシーマに驚きの出来事が起こりました。SNSに愛車のことをあれこれ書いていたところ、それを見た大勢の方たちが、日産のホームページに「レストア(劣化した旧車を新車のように復元すること)してあげて!」と書き込んでくださったのです。それで日産が動いてくださり、思いがけず、新車と見違えるほどきれいに生まれ変わることに。レストアされたシーマは銀座の日産ショールームに展示され、お披露目の機会までいただきました。

 

それがきっかけで、私もシーマオーナーとして注目され、車関係の取材を受けることが増えました。ただ、レストア後は、「みなさんの声のおかげできれいになったのだから、今の状態を維持しなくては」と、ちょっとした傷をつけるのも怖くなって…。今はもう遠乗りはせず、家の近くを走るのみ。むしろ電車に乗る機会が増えました(笑)。

懐かしい共演者とドライブトーク!

今、シーマの活躍の場は、もっぱらYouTubeチャンネルです。レストアがきっかけで話題になり、50代半ばにしてまさかのYouTuberデビューをしたのです。人生は何が起こるか本当にわかりません。YouTubeでシーマを知った方も多いようで、スーパーの駐車場に車を停めていると、「写真を撮らせてください!」とよくお声をかけていただきます。

 

プライベートではもう1つ、50歳から習字を習い始めました。“習字対決”の特番に出ることになり、急きょ習いに行ったら面白くなって、それからずっと続けています。実はその対決で勝つことはできなかったのですが、その後、同番組に2回出演し、2回とも優勝することができました。

 

書道はどこにいてもできる趣味で、50代以上の方にもおすすめです。美しい文字を書けるようになるのはもちろん、墨の香りが何ともいえず懐かしく、心が落ち着くのです。また、書き直しがきかない一発勝負の一面もあり、いい緊張感を持てるのも魅力です。

 

私もアラ還。普段から体を動かし、健康に注意しながら、この先もがんばっていこうと思います。

(東京都目黒区にあるホリプロの一室にて取材)

  •  愛車のシーマ。24歳の時に購入し、30年以上乗り続けている

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  • 7歳、七五三。茨城県の一言主神社にて

    7歳、七五三。茨城県の一言主神社にて

  •  21歳、ホリプロに移籍したころ

    21歳、ホリプロに移籍したころ

  • 24歳、シーマを購入したころ

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  • 51歳ごろ。堀ちえみさんと、浅草にてバラエティーの撮影

    51歳ごろ。堀ちえみさんと、浅草にてバラエティーの撮影

  • いとうまい子さんと関西のスタジオにて

    いとうまい子さんと関西のスタジオにて

  • プライベートでは書道も

    プライベートでは書道も

  • 伊藤 かずえさん

(無断転載禁ず)

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