Ms Wendy

2023年11月掲載

オイストラフの演奏に衝撃を受け、冷戦下のソ連へ単身留学

前橋 汀子さん/ヴァイオリニスト

前橋 汀子さん/ヴァイオリニスト
1943年東京生まれ。4歳からヴァイオリンを始め、61年、レニングラード音楽院に留学。66年、ニューヨークのジュリアード音楽院留学後、スイスを拠点に活躍。近年は親しみやすいプログラムのリサイタルや弦楽四重奏にも取り組む。2004年日本芸術院賞、11年紫綬褒章、17年旭日小綬章。著書は『ヴァイオリニストの第五楽章』『私のヴァイオリン 前橋汀子回想録』。使用楽器は1736年製作のデル・ジェス・グァルネリウス。12月1日、「X'masのデイライト・コンサートvol.10パイプオルガンと弦楽アンサンブル」を東京芸術劇場にて開催。
戦争末期に生まれて

私が生まれたのは終戦間近の1943年の東京です。母は1歳6カ月の私を背負って東京大空襲を逃れ終戦を迎えました。

 

ヴァイオリンとの出合いは4歳で入園した「自由学園幼児生活団幼稚園」。母が自由学園の創設者で日本初の女性新聞記者になった羽仁(はに)もと子さんの考えに共鳴して、当時自宅のあった練馬区から目白まで通いました。自由学園は情操教育の一環としてヴァイオリンかピアノのどちらかを選ぶことになっていました。うちにはピアノがなかったので、母がデパートで買った小さなヴァイオリンでお稽古を始めることになりました。母は「これからの時代は女性も何か手に職をつけて自立できるように」と考えたのでしょう。わが家は父が高校の社会科の教師でしたから、音楽の先生とか、楽器を習わせることが何か一つのきっかけになれば、という考えだったと思います。

   

おそらく「娘をヴァイオリニストにしよう」というつもりではなかったと思いますが、そのうち「せっかく始めたのだから、きちんと先生についたほうがいいだろう」ということになり、5歳から週2回、プロのレッスンに通うことになりました。

 

この時に紹介されたのが白系ロシア人で旧ロシア貴族出身の小野アンナ先生でした。アンナ先生は私が後に留学することになるレニングラード音楽院(現・サンクトペテルブルク音楽院)で学び、戦前の日本を代表するヴァイオリニストを育て、日本ヴァイオリン界の基礎を作られた方です。この時5歳でアンナ先生と出会ったことが、後に私がヴァイオリニストになっていく人生の大きな契機となりました。

神経質で風変わりな子ども

小学校に上がると、父はヴァイオリンと学業の両立を考えて学校(東京学芸大学附属大泉小学校)近くに土地を購入し、家を建てました。祖父母も同居する大家族に、犬と猫と鳥がいてとてもにぎやかでした。当時の練馬区といえば家の周りは見渡す限りの畑。夜遅くに大きな音を出しても近所迷惑にならない、素晴らしい環境でした。私は神経質で、少し風変わりな子どもだったと思います。今でもそうかもしれませんが(笑)。

 

体育の時間が大の苦手でした。跳び箱は跳べない、ボールは投げられないという具合で、本当に何もできなかったんです。当時は体育館などなくて、体育はすべて校庭で行われていましたから、朝起きて雨が降っていると、とてもうれしかったのを覚えています。

 

人と一緒に遊ぶことも苦手で、休み時間はいつもひとりで教室にいましたね。今、コンサートに来てくれる当時の同級生は、「あの頃から手をいたわっていたんでしょう?」と言ってくれますが、「全然、そんなことではなかったのよ」と笑い話になっています。

オイストラフに憧れ17歳で単身ソ連へ

小学生だった1950年代、母は戦後の大変な時にもかかわらず、世界的音楽家の来日情報を調べ、決して安くないチケットをいつも1枚だけ買って、私に渡しました。そして私がホールで演奏を聴いている間、母はいつも外で待っていたのです。「娘には本物を聴かせたい」という一心だったのでしょう。

 

その頃、日比谷公会堂で20世紀を代表するソ連のヴァイオリニスト、ダヴィッド・オイストラフの来日コンサートがありました。その演奏を聴いた私は初めて「これが本当のヴァイオリンの音色、響きなのか」と、子ども心に衝撃を受けました。

 

そして、「ソ連に行って勉強すればあんなふうになれるのか。ソ連に行って勉強したい」と単純な憧れを持ったのです。それが小学5年生、11歳のときでした。その後、いろいろな偶然も重なって、幸運にも私はソ連へ留学することになるのですが、すべての始まりはこのコンサートだったと思います。

 

桐朋女子高校2年生の17歳の娘を、両親はよく留学に送り出してくれたと思います。何も状況が分からない、知り合いもいない国で暮らすわけですから、両親も当初はもちろん大反対。でも「どうしても行きたい!」と一歩も譲らない私を見て、しぶしぶ承諾してくれたのです。

 

私はソ連留学時代、指導者にも恵まれて音楽の基本を徹底的に勉強できました。今、この年代になっても、あの時代の経験がものすごく役立っていると、痛感します。

 

今は、世界がすごく近くなりましたね。私が留学した時は船と汽車を乗り継いでレニングラードに到着するまで1週間かかりました。そんな時代ですから、何をするにもすべてが命がけみたいな感じでした。

「少しでも階段を上りたい」という気持ちで

ソ連留学の後は一時帰国をはさんでニューヨークに3年、その後はスイスを拠点に10年間、ヨーロッパ各国で勉強してきました。自分のやりたいようにやることもよいのでしょうが、私は基本的に教わることが好きなのだと思います。先生の音を耳や頭で理解したと思っても、自分の中で咀嚼(そしゃく)して表現するというのは、そう簡単ではないんですよね。何年も何年もかかって「こういうことだったのか」と思うこともあり、今もその繰り返しです。

 

偉大なヴァイオリニストたちの演奏に触発され、圧倒され、それでも「少しでも近づきたい、階段を上りたい」という思いを胸に、ずっとやってきました。

 

長く演奏家として生きてきましたから、いつもうまくいくときばかりではありません。40代の終わり頃、一度ヴァイオリンをやめようと思った時期がありました。迷いや焦りで先が見えず、楽器を弾きたくない時期があったんです。でもやめる踏ん切りがなかなかつかない。それで思い切ってステージ衣装を人にあげたり、処分したりして、全部手放しました。だから、昔の衣装はほとんど残っていません。

 

それでもその後、私が演奏を続けられたのは、やっぱり音楽に救われたからです。素晴らしい演奏を聞いて味わうことで、私は立ち直れたのだと思います。

動画レシピで思い出の味を

食べることには結構気をつけています。演奏家は時間が不規則になりがちなので、できるだけ3食しっかり食べるように心がけています。自分でも時々料理をします。昨日は「キエフ風(チキン)カツレツ」を作りました。今はキエフじゃなくてキーウですね。偶然、YouTubeにレシピが出ていたのを見て「思ったより難しくなさそう」と思ったので。私がソ連にいた頃はレストランでしか食べられないごちそうだったんですよね。鶏肉にナイフを入れるとおいしいバターソースがジューシーにあふれ出てきて。

 

わざわざ材料を買いに行って「この忙しい時になぜこんなことをしているんだろう?」と思いながら(笑)。でも、思い出の味に再会したようでうれしかったですね。

好きな作曲家はベートーベン

今、ベートーベンのヴァイオリンソナタに改めて挑戦しているところです。ベートーベンは、もちろん子どものころからずっと弾いているわけですが、10年ほど前から弦楽四重奏をやってきた中で、新たな気づきもたくさんあったので、集大成のつもりで取り組んでいます。ベートーベンは、弾けば弾くほど本当の偉大さが分かります。今も楽譜を見るたび「なるほどこういう意味だったのか」という新しい発見があります。

 

偏屈な人だったといわれていますが、もしあの時代に行くことができるなら、ぜひお会いしたいですね(笑)。

生の音を聴いて感じてほしい

2005年のある日。夕方の駅で人を待ちつつ、行き交うたくさんの人たちの姿を見ていた時、ふと「この中に、コンサートホールで生のヴァイオリン演奏を聴いたことのある人がどれだけいるのだろう?」と思ったんです。それで、もっと気軽に多くの方に生のクラシックを聴いてほしいという思いで始めたのが、自主企画の「アフタヌーン・コンサート」です。おかげさまで好評をいただき、第2弾として2013年からは映画音楽やポップスなども組み入れた「デイライト・コンサート」も始めました。

 

今の時代、音楽もスマホで簡単に聴くことができますが、ホールで演奏を聴くコンサートはやはりそうしたものとは違う形、経験ですので、何か感じていただけると思います。これを読んでくださっている方の近くの町で演奏する機会があるといいですね。これからも1回1回のコンサートを大切に、「これが最後」という気持ちで向き合っていきます。

(東京都内にて取材)

  • 小野アンナ先生と一緒に

    小野アンナ先生と一緒に

  • 1961年、ソ連に旅立つ船上で

    1961年、ソ連に旅立つ船上で

  • 1961年頃、レニングラード音楽院で。ワイマン先生と

    1961年頃、レニングラード音楽院で。ワイマン先生と

  • 1970年、スイスにて。シゲティ先生と

    1970年、スイスにて。シゲティ先生と

  • 1992年、スイスのレンクにて。シャーンドル・ヴェーグ先生と

    1992年、スイスのレンクにて。シャーンドル・ヴェーグ先生と

  • 1995年、ベルリンにて。ベルリン放送交響楽団と

    1995年、ベルリンにて。ベルリン放送交響楽団と

  • 前橋 汀子さん

    (C)篠山紀信

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