『タンタンの冒険』が好き 自分らしく生きる産婦人科医
- 高尾 美穂さん/産婦人科医
- 愛知県生まれ。イーク表参道副院長。医学博士。婦人科スポーツドクター。ヨガ指導者。働く女性の産業医。婦人科の診療を通して女性の健康をサポートし、女性のライフステージ・ライフスタイルに合った治療法を提示し、選択をサポート。音声配信プラットフォームstand.fmの『高尾美穂からのリアルボイス』ではリスナーの多様な悩みに回答している。『更年期前後がラクになる!おうちヨガ入門』(宝島社)、『心が揺れがちな時代に「私は私」で生きるには』(日経BP)ほか著書多数。
大人に囲まれ のびのびマイペースな子どもに
私は比較的多くの大人に囲まれて育ちました。父は建築士、母はお茶の先生で、家には毎日のようにお茶の生徒さんが来ていました。といってもサロンに近い形で、1日3組ぐらいのグループが午前、午後、夕方に分かれてお茶席を楽しむ、今でいうサロネーゼの集まりのようでした。次の組の方たちが母に代わって私の相手をしてくれたり、台所で片付けをしていたり。おかげで大人の女性とのコミュニケーションは幼いころから自然なことだったと思います。
また、両親ともに「興味があるならやってみたら?」というスタンスで、祖父母も同様だったので、誰かの顔色をうかがうこともなく、超マイペースな子どもに育ちました。最も感謝しているのは、「本を買いたい」とお願いをした時に一度もダメと言われなかったことです。その親の姿勢から本が大好きになり、今も月に一度は大きな本屋さんに行き、3、4時間は過ごして興味を持った本を買う生活をしています。そうやってじっくり集めた本は手放さないとも決めていて、「いつか高尾美穂文庫をつくりたい」という夢につながっています。
子どもなりにショックを受けた母の乳がん
医師を志すきっかけの一つになったのは、母の乳がんです。当時、私は小学校4年生で、「今年の夏はロングキャンプに行ってみないか?」と親に言われ、喜んで参加したのです。母は行きのバスを見送ってくれ、帰りも迎えにきてくれて、こちらは「楽しかった」という思いでいました。
ところが、母と一緒にお風呂に入ったタイミングで手術の跡に気づき、そこで初めてキャンプに行っていた間に乳がんの手術をしたことを知り、ショックを受けたのを覚えています。病気に対してはもちろん、自分だけ知らされていなかった寂しさを感じたのです。
「7歳上の兄は大人扱いをされていたのに私にはなぜ?」と思うと同時に、「大事なことをちゃんと話してもらえる人になりたい」「信頼される大人になりたい」と強く思った瞬間でした。
成績は常にトップで、成績が良いと「東大か医学部か」という時代でもあり、悩むことなく医学部へ進むことにしました。しかし、実は、その成績が原因でいじめられたことがあります。「(成績優秀な)お前がいると自分たちの内申点が不利になる」というのが理由で、上履きの裏に画びょうを打たれたり、机に花びんが置かれていたり。ただ、私は「世の中って予期せぬことがいろいろ起こりうるよね」という見方をするタイプでしたし、高校に進学したらこの状況はなくなると分かっていましたから、やり過ごすことができました。それも大人が読むような本をたくさん読んでいたから、「諸行無常(変わらないものなどない)」という感覚を持っていたのだろうと思います。
産婦人科医なら女性の一生に寄り添える
「産婦人科医になる」と決めたのは、医者になって2年目のことです。研修医の期間にメジャー科と呼ばれる内科・外科・小児科・麻酔科・産婦人科の五つの科、さらに希望診療科を二つ選んで、2カ月ごとにローテーションする必修プログラムがありました。私は希望診療科として内視鏡科と心療内科を選択。当初は内視鏡の専門家になりたいと考えていたからです。
ところが、楽しみにしていた内視鏡科の役割は、内科の依頼でカメラを撮り、状況を説明したらそれで終わり。自分の目の前を患者さんが通り過ぎていく様子に少し物足りなさを感じました。
その次の研修先だった産婦人科は、まったく考えていませんでした。でも、内視鏡科とは真逆で、オギャーと生まれてから初潮を迎え、出産、更年期、高齢期になっても、女性の人生を細く長くずっと診ていく科だと知り、「私がしたいのは、こっちかも」と思ったのです。当時の産婦人科の部長も、私が産婦人科の看護師さんや助産師さんと仲良くコミュニケーションを取っている様子を見てくれたのか、「女性の職場でこれだけうまくやれる女医さんはなかなかいない。患者さんが女性ばかりの科にぴったりだ」と言ってくれて、真剣に産婦人科を考え始めました。
最終的には、「全人口の半分に当たる女性の健康と幸せな人生を後押ししたい」という志にたどり着きました。今もこの選択をして良かったと思っています。
球技のチームメイトが子宮頸がんで…
そんななか、社会人になって入ったソフトボールチームのチームメートが子宮頸がんで帰らぬ人となりました。
私は学生時代、小学校のバスケットボールをはじめ、中学校ではソフトボール、高校ではバレーボール、大学では硬式テニスと、ずっと球技スポーツをやっていて、医者になって再びソフトボールチームに入ったのです。そのなかには、私が1人目、2人目のお子さんを取り上げた方や、卵巣が腫れて私が手術を担当した方もいらっしゃいました。
あるとき、「生理じゃないのに出血するから、1回診てくれる?」と外来にきた仲間が子宮頸がんだと分かったのです。しかし、いろいろな治療をしても1年半後に亡くなってしまいました。彼女はシングルマザーで、そのときお子さんは6歳。前のご主人に引き取られました。
産婦人科医としてはうれしいこともたくさん経験したけれど、医者の経歴も20年を超えるとお見送りをした方も多く、悔しい思いもたくさんしました。NHKの『あさイチ』などメディアで私のことを知ってくださった方も大勢いらっしゃると思いますが、産婦人科医として数多くの経験をしてきたからこそお伝えできることも、きっとあると思っています。
足の負傷をきっかけに出合ったヨガの世界
医者になって5年目に結婚。それを機に上京してからヨガと出合い、私の人生にさらなる彩りが増えました。
東京にきてからはスポーツクラブで運動不足を解消していたのですが、大学院に通うため自転車で走行中、タイヤがすべって転倒、足首のじん帯を伸ばしてしまいました。手術もできず、どうしたら早く治るのか…と思っていたとき、クラブのプログラムのなかで初心者向けのヨガ(アシュタンガヨガ)を見つけたのです。早速クラスをのぞいてみると、運動が得意ではなさそうな人がとてもハードなポーズを次々決めていて、「自分もマスターしたい!」と、昭和生まれの負けず嫌いな心に火が付き(笑)、足首が治っても通い続けることに。結局は、アシュタンガヨガにすっかりハマり、指導者養成講座で人に指導する方法を学ぶまでになりました。
今自分ができることに目を向けてほしい
ヨガの哲学には、「変えられるものに目を向ける」という考え方があります。たとえば、天気や電車の遅延などは自分では変えられませんが、自分の体のコンディションは自分の努力でコントロールできます。そこに目を向けて、今、できることにエネルギーを注ぎましょうというものです。
言われてみれば当たり前ですが、なるほどと思うことがあり、コロナをきっかけに始めた音声番組『高尾美穂からのリアルボイス』でも、リスナーからのさまざまなご相談に対して、日常生活に生かしていただけるような簡単な方法をお伝えしています。
また、運動習慣のない方たちに、ヨガのポーズやそれに伴う呼吸の大切さなどをお伝えする機会も多いのですが、正直にいえば、ヨガでなくてもいいのです。スポーツドクターという立場でいえば、フラダンスでも、キックボクシングでも、好きで続けていけるものに出合っていただけることがとても大事です。ただ、運動が嫌いという人のなかには運動が苦手で、「学校の体育で、みんなの前で恥ずかしい思いをした」という人もいるので、「今までやったことがない種類の運動だったら楽しいかもしれないね。たとえばヨガを試してみて、それが性に合ったらいいよね」という考え方をしていただけたらと思っています。
自分らしさは自分で決められる
体同様、自分らしさも自分でコントロールすることができます。自分らしさとは、自然体でいられて、無理しない状態のこと。人と比べず、枠にとらわれないことを指すと思いますが、私は、「自分が好きなものにだけ囲まれる人生って最高!」と思っています。
たとえば、いつも使うお茶碗、お箸から、お洋服、何に乗って出かけるか…いろいろな分野を見渡して、好きなものを選んでみてください。私の場合は、絵本『タンタンの冒険』シリーズが好きで、主人公のタンタンの髪型をまねていますが、奇をてらった感覚はありません。また、ラルフローレンが好き、ヒールの靴は履かない、メイクはしない、白髪染めはしないと決めているのも、好きなものを選んでいったらこうなったという感じです。そして、その組み合わせが「私らしさ」だと思っているのです。
もしも「自分らしさって何だろう?」と思うことがあれば、カテゴリーごとに好きなものを探してみるのもおすすめです。さらに、自分の「好き」に正直になり、自分がワクワクする方向を選ぶという考え方が、自分らしい生き方につながっていくのではないでしょうか。
(東京都渋谷区にあるイーク表参道にて取材)
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