Ms Wendy

2022年8月掲載

なぐさめるのではなく、叱咤激励 それが高橋家の教育方法

高橋 真麻さん/フリーアナウンサー

高橋 真麻さん/フリーアナウンサー
1981年生まれ、東京都出身。2004年、フジテレビジョンアナウンス室入室。以降、人気バラエティーや報道番組で司会を務めるなど活躍。13年退社。現在はフリーアナウンサーとして活動。日本テレビ『スッキリ』、テレビ東京『ソレダメ!』など多数のレギュラー番組を持つ。趣味は歌を歌うこと、料理、ゴルフ、演劇鑑賞。18年12月に一般男性と結婚。20年4月第一子を出産。著書に『ネガティブだった私が見つけた、毎日ポジティブに過ごす秘訣』がある。
苦労の末に授かった子どもだった

私は、俳優の父・高橋英樹と元女優(小林亜紀子)の母との間に生まれました。両親はなかなか子どもに恵まれず、私が生まれる前に3回流産。私のときも、検診で「心臓の音が聴こえない。母体が弱っているので、早く処置をしたほうがいい」と言われたそうです。しかし、どうしてもあきらめ切れなかった両親は、「1週間だけ待ってください」と医師に頼み、その間、ありとあらゆるものに手を合わせたといいます。

そうしてようやく授かった子どもだったので、世間からは「さぞかし甘やかされて育ったでしょう」と言われますが、実はそんなことはないのです。私が生まれたとき、両親は「この子は高橋英樹の娘ということで、まわりにちやほやされるかもしれない。だから、私たちは厳しくしつけよう」と話し合ったそうです。

実際、私は父にほめられた記憶がほとんどありません。言うなれば「叱咤激励型教育」。たとえば、テストで98点だったら、「あと2点がんばりなさい」。つらいことがあったと打ち明けると、「パパはもっとつらい経験をしたんだよ」。本当は、ただ「よしよし、よくがんばったね」と言って寄り添ってほしいだけだったのに…と、今でも両親に文句を言っています(笑)。

また、両親は共働きで、母が父の所属事務所の社長を務めていたので、幼心に「寂しいな」と感じることも多くありました。寂しがり屋の片鱗は、まだ自分に残っています。

親に迷惑をかけないことが選択の基準

小学生のとき、悪い点を取ったテストの用紙を隠したことがあります。それが見つかり、悪い点を取ったことよりも隠していたことをこっぴどく叱られて。ウソをついてこれほど叱られるなら、もうウソをつくのはやめようと、そこからウソをつかない人生を始めたら、本当にウソがつけない性格になりました。

高校に上がり、周りの友達が反抗期を迎えた時期も、いわゆる反抗期はありませんでした。親への態度が悪いとあとでとんでもないことが起こるとわかっているので、反抗しようという気にもならなかったのです。

また、父が撮影のため京都に単身赴任でいない間も、母から、「このご飯はパパが一生懸命働いたお金で食べているんだから、パパに感謝しましょうね」。何かを買ってもらうと、「パパが稼いだお金で買ったものだから、帰ったらパパにお礼の電話をかけましょうね」と、父親の偉大さを刷り込まれました。だから、両親が働いているお金で私は家にも住めるし、ご飯も食べられるし、教育も受けられる…。それが根底にあったので、自分が選択を迫られたときは、どちらを選べば親に迷惑をかけないか、親の名前を汚さないか、ということがいつも念頭にありました。

今、振り返ると窮屈な人生だったと思います。30歳を過ぎたころに初めて、自分のキャリアとキャラクターとアイデンティティーができて、それまで「高橋英樹の娘」でしかなかったのに、ようやく「高橋真麻」として認められるようになった。「私の人生を歩んでいる」と心から思えたのは、今から10年前ぐらいのことです。

心ないバッシングで激やせ…37キロに

アナウンサーを志したのは大学生のとき。もともと表現する仕事に就きたくて、あれこれ考えるなかで、私は自分の言葉で伝える仕事、「新聞を声に出して読むような仕事がいい」と思っていました。また、父は芸能界の第一線で活躍していましたが、同時に、急に病気になったら明日から仕事ができなくなる、食べていけなくなるという不安定さを子ども心に感じながら育ったので、「安定した職業に就きたい」。その2つがクロスしたのが、局のアナウンサーでした。

そこからアナウンサースクールに通い、私なりに120%の努力をしてフジテレビに入社。しかし、大手サイトや新聞、雑誌で「コネ入社」「ブサイク」と叩かれ、びっくりしました。今なら、フジテレビのアナウンサーにしては顔がちょっとトリッキーだったよな、なんて笑って話せますが、当時はそうは思えず傷つきました。

”2ちゃんねる“が普及し始めたころで、ネットの掲示板への書き込みもすごかった。見なければいいのですが、どうしても気になって見てしまう。どんどん負のサイクルにハマっていきました。

社内でも逆風を感じ、初めて人間関係の壁にもぶつかり、心身ともに衰弱して37キロまでやせ細ってしまったのです。

「ここで負けるな!」父の言葉が転機に

入社3年目、もう辞めようかと思っていたとき、踏みとどまったのは、父のひと言のおかげです。「乗り越える力をつけなさい。今、ぶつかっている困難を乗り越えずに、回避することを覚えたら、今後の人生ずっと回避することになってしまうよ」と言われ、めげずにもう少しがんばってみようと思いました。

その後も5年目ぐらいまでは、「誰でもいい、空いている女子アナで」という仕事しか回ってこず、気持ちが上に向きませんでした。負のスパイラルにいると、まわりから見ても魅力的に見えません。名前も出ない、裏方の仕事ばかりが続き、「モチベーションがない」と父に話したときです。「誰がやってもいい仕事こそ、一生懸命やりなさい。そうしたら、最初は誰でもいいと思ったけど、真麻に頼んでよかった。次は真麻にお願いしようとなるから」と。

その言葉に引っ張られるように気持ちを切り替え、1つ1つの仕事に向き合うようになったら、「親のコネ」と言っていた人たちがそれを言わなくなり、「真麻のニュース読みって聞きやすいよね」「バラエティーでは体を張って面白いよね」とプラスの声が聞こえるようになって、指名の仕事が少しずつ増えていったのです。この2つの出来事が私にとっての大きな転機になりました。

悩む娘をなぐさめるのではなく、相変わらず叱咤激励してくれる父だったからこそ、壁を乗り越えられ、今の自分がいる。そう思うと、親には感謝しかありません。

背伸びはしない。等身大の意見を心がける

しかし、フリーアナウンサーになって、また試練がやってきました。局アナ時代は私のパーソナリティーを理解しキャスティングしてくださって、一緒に番組をつくっている感覚がありましたが、他局に呼ばれるようになると、「真麻さんらしくお願いします」「いつもの感じで」と言われ、自分に何を期待されているのかわからず不安に。最初の2年間はただただフルスイングして、でも、空振りすることのほうが多かった気がします。それが「何となくこれでいいのかな?」と思えるようになったのはフリーになって3、4年目のころでした。

それでもコメンテーターのお仕事などは、今でも難しさを感じます。どちらかに寄った発言をするともう片方に批判され、中立の発言をすると「いる意味がない」「置物」と言われ。あるときから、等身大で思ったことを素直に言うことにして、楽になりました。背伸びをせず、自分をよく見せようとせず、わからないことは専門家や有識者に聞く。ニュースの背景を知る努力は必要ですが、あとは純粋な自分の意見をお話しするのが1番だと思っています。

1日でくたくたに。女優の仕事はもうムリ!

実は、フリーになってからドラマに出させていただく機会がありました。『地獄先生ぬ〜べ〜』というドラマの”トイレの花子さん“役だったのですが、私はアナウンサーとして紙に書いてあるものを読む仕事をしていたので、そもそも台詞(せりふ)を覚えられない。トイレットペーパーで顔を拭くシーンを右のカメラから、左のカメラから、正面からと、何度も撮り直すたびに拭き方が違うとNGに(笑)。1日だけの撮影でくたくたに疲れ果て、「女優業は無理だ」と悟りました。

今は父との共演も多く、親子でテレビやメディアに出られることは大変ありがたいと思っていますし、父と一緒の心地よさもあります。クイズ番組に出るとなったら、父は週をさかのぼってその番組を見て、傾向と対策を練るような真面目な性格。その姿に、あらためて尊敬の念を深めています。

趣味は「夫」。いつも一緒にいたい

37歳で結婚し、38歳で娘を出産。局アナ時代は不規則、不摂生な生活で体調を壊すこともありましたし、うちは両親がなかなか子宝に恵まれなかったので、もしかしたら子どもには恵まれないかも…。どこかでそう思っていただけに、子どもを授かったときは本当にうれしくて。その幸せが今も続いていて、出産後の大変さもすべて忘れてしまいました!

子育てについては叱咤激励型ではなく、なるべくほめて、ポジティブな言葉をかけるようにしています。父が昔から「趣味は家族」と言っていたのを私も半分受け継ぎ、「趣味は夫」(笑)。

たとえば、夫はアートが好きで、絵画展を見に行くのですが、自分がまったく興味がなくても夫となら行きたいという感じで、いつもベタベタ干渉しています。だから、夫が私より娘を優先するとちょっと寂しい気持ちになりますが、家族とおいしいものを食べたり、きれいな景色を共有したり、映画を観たり、何でも一緒にシェアすることが幸せなのです。

先行き不透明な時代だからこそ家族との時間を大切に。そして、1日1日を大事に過ごしていきたいなと思います。

(東京都品川区にある事務所の一室にて取材)

  • 1歳の頃、父と

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  • 3歳のころ。七五三にて

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  • 3歳のころ。母のピアノ演奏で歌う

    3歳のころ。母のピアノ演奏で歌う

  • 小学校5年生のとき

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  • 高校生のころ。両親と

    高校生のころ。両親と

  • 大学の卒業式

    大学の卒業式

  • 娘とのブランコ

    娘とのブランコ

  • ハワイにて親子3人で

    ハワイにて親子3人で

  • 高橋 真麻さん

(無断転載禁ず)

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