Ms Wendy

2022年5月掲載

“シノラー”ブームを巻き起こし 現在はデザイナーとして活躍

篠原 ともえさん/デザイナー・アーティスト

篠原 ともえさん/デザイナー・アーティスト
1979年生まれ、東京都出身。95年歌手デビュー。文化女子大学(現・文化学園)短期大学部服装学科デザイン専攻卒。歌手・女優活動を経て、イラストやテキスタイルデザインなどで企業ブランドとコラボレーションするほか、アーティストのステージ・ジャケット衣装を多数手がける。2020年、夫でアートディレクターの池澤樹氏とクリエイティブスタジオ「STUDEO」を設立。21年、日本タンナーズ協会と協働しデザイン・ディレクションした革アクセサリーが国際的な広告賞を受賞。また、ホテルユニフォームのデザイン・製作監修を手がけるなど幅広い分野で活躍中。
ものづくりの楽しさを知った人形の洋服づくり

意外に思われるかもしれませんが、幼い頃の私は内気で恥ずかしがり屋。1人でお絵描きや人形遊びをするのが好きな女の子でした。中でも好きだったのは、当時、人気のシルバニアファミリーやリカちゃんの洋服づくり。人形たちに喜んでもらおうと、布をぐるっと巻きつけ、テープで留めたのが手づくり第1号です。

そのうちに服の構造が分かり、穴を開けて腕を通したり、カーブをつけて洋服にしわを出したり、母の裁縫道具を借りて針と糸で後ろを留めたりと、子どもなりの工夫が始まりました。

実家は寿司屋を営み、両親が店を切り盛りしていましたが、母はもともと洋裁好き。空き時間を見つけては、2人の兄と私の洋服からベッドカバーまで、身の回りのものを自由自在につくっていて、日常に“ものづくり”があった影響が大きかったと思います。

小学校4年生のときには、母がバレエを習わせてくれ、苦手だった人前に出ることが大好きになりました。発表会できれいな衣装を着て、自分にスポットライトが当たり、会場から拍手を浴びたとき、今までにない喜びを感じたのです。

歌も好きだった私は、バレエがきっかけで、自分がつくった華やかな服を着てステージに上がる世界に憧れを抱くように。小学校6年生のときの文集には「夢はデザイナーと芸能人」と書いていました。

中学生でレコード会社のオーディションに合格

中学生になるとどんどん積極性が出て、文化祭のポスター制作を志願して描いたり、放送委員になったり、バンドを組んでボーカル兼、ギター兼、作曲を担当するなど、実体験を通して「つくる」ことと「届ける」ことをつなげる楽しさを覚えていきました。

中学3年生でレコード会社(ソニー・ミュージックエンタテインメント)の歌手オーディションを受けて合格。その後、デザイン科のある高校に入り、デビューを待ちながら、ボイストレーニングを受けるため、市ヶ谷の本社に通うようになりました。

そのとき実はもう、お団子ヘアと前髪パッツンの「シノラー」スタイルの原型が出来上がっていたのです(笑)。それが当時のキューン・ソニー社長の目に留まり、「電気グルーヴの石野卓球さんプロデュースでデビューしてみない?」と。それまでは「オーディションに合格しても、デビューまで10年かかる人もいる」と言われていたのに、翌年には歌手デビューを果たすことができました。これも、自分の好きなものを信じて自分らしいスタイルで、堂々と人前に立っていたからだと思います。

ものづくりには常に真面目に向き合っていた

カラフルで個性的なファッションが多くの方にインパクトを与え、「シノラー」ブームが起きたころ、夢に飛び込めたことが単純にうれしかった!テンション高めなキャラクターは、喜びを抑えきれずにありのまま楽しむ少女の姿を見ていただけたと思っています。

「シノラースタイルを見て自分らしい洋服が好きになりました」「篠原さんと同じ学校に行くことにしました」「自分を表現することで友達が増えました」というお便りを頂き、自分の表現が誰かの気持ちをポジティブに変えられることも知りました。これが、表に出る仕事の責任と醍醐味(だいごみ)だと学んでいったのです。

真面目にものづくりをやっていきたいと、大学にも行き、服飾デザインを専攻しました。ただ、華やかな世界に身を置いていたので、真面目な自分を出すのが恥ずかしかった。こっそり勉強に集中しようと、バンダナを巻いて髪の毛のお団子を隠したのですが、すぐに気づかれて、大学に通っていた時は緊張の日々でしたが、なんとか卒業しました。また、仕事面ではライブなどクリエイティブでも私の意見を積極的に取り入れてくださるスタッフの方もいて、それが本当に楽しかったですね。

そのうちに、舞台やミュージカルのお話をいただくように。台本を読んでいると、衣装が次々と頭に浮かび、ある日、演出家さんに自分のアイデアをプレゼンしたのです。すると採用していただけることになり、その後は自ら希望して衣装を手がけるようになりました。

ユーミンのコンサートで衣装デザイナーに

当時、「あなたの職業はなんですか?」と質問されて困ったことがあります。歌も本気で好きだったし、演技も踊りも好き、デザインもやりたい…。いろんなものが好きすぎて悩んでいました。でも、歌なら曲づくり、衣装づくりが直結します。20代後半は「歌手・篠原ともえ」を軸に、自分で曲を書いて自主制作でCDをつくり、ライブはすべて自分がつくった衣装で出演することを課題にして、どこまで自身の力で築き上げられるかに挑戦しました。

キャリアチェンジの転機が訪れたのは30代です。松任谷正隆さんのラジオ番組にゲスト出演したときのこと。「ともえちゃんなら、ユーミンにどんな衣装を着せてみたい?」と聞かれ、その場でデザイン画を描いたのがきっかけで、ユーミンさんのコンサート衣装を担当することになったのです。

その後、嵐さんのコンサート衣装のオファーをいただくなど、デザインの仕事が増えていきました。理由はきっと、「出る人の気持ちが分かるから」。自分のコンサートでも、こうつくるとファンが喜んでくれるというプロセスを何度も踏んできたので、それが私の強みになったと思います。ユーミンさんのときは、衣装と連動させてコンサートグッズも提案し、驚かれました。

アーティストのみなさんが私のデザインした衣装でステージに立たれ、観客が感激してくれるのを見て、自分のこと以上にうれしい瞬間が何度もありました。デザイナーとしての喜びに包まれ、「この仕事でやっていけるのかもしれない」と思ったのです。

主人との出会いに背中を押された

しかし、その後も心を決められないまま3年ほどが過ぎたでしょうか。自分が出演する仕事と裏方の仕事を同時にこなすため、スケジュールが間に合わずに夜も寝られないことが増えてきて、「いよいよ腹を決めないといけない」というタイミングで出会ったのが主人(アートディレクター・池澤樹氏)です。

彼の作品に触れ、デザイン一本でやってきた人のものづくりの緻密さ、すばらしさを見て、ずいぶん悩みましたが、軸足をデザインに移す決断をしました。

40歳を前に結婚もして、主人とデザイン会社を設立。デザインに注力するにあたって、洋服のパターンを再び勉強しようと、母校に通い直しました。私はそれがマナーだと思っているのです。お芝居をするときは感覚でやらずに先生に習う。歌をやるときは人に聴かせるレベルを上げるためにボイトレをするのと同じです。「デザインをする」と宣言した以上、その分量の学びを得ることで、より楽しく仕事ができると思ったのです。

一昨年はサステナビリティと向き合い、生地を余すことなく使い切る衣装作品「SHIKAKUーシカクい生地と絵から生まれた服たちー」を発表。昨年は、日本タンナーズ協会との協働で手がけた革アクセサリーが、世界でもっとも歴史ある国際的な広告賞、ニューヨークADC賞のトラディショナル・アクセサリーとイノベーションの2部門で賞をいただきました。

コンペに勝ち、憧れの「制服」をデザイン

最新の仕事は、星野リゾートさんが今年4月に開業した「OMO7(おもせぶん)大阪」のホテルスタッフユニフォームです。4社によるコンペティションでしたが、リサーチのためにしっかりとスケジュールを空けてじっくり取り組むことができました。

ホテルのコンセプトは、「誰もが思わず“これぞ大阪!”と心奪われてしまう、大阪らしさが詰まった都市ホテルを目指す」ということで、コンセプトをそのままテキスタイルに落とし、街を歩くときに地図を広げてピンを置くようなオリジナルの柄を提案し、コンペを勝ち取ることができました。

実は、10代の頃から「いつか制服のデザインをしたい」と口にしていたのです。あのときの自分に「私が夢を叶えてあげたよ!」と言ってあげたいですね。

10年後も、今の自分が好きになる自分でいたい

今日着ているのは明るいイエローですが、普段のファッションはモノトーンが中心です。これまでの私はプライベートでも自分でつくった服、自分でデザインしたアクセサリーを身につけないと自分でいられないような気がしていました。でも、つくる時間が増え、自分のことは二の次に。むしろ目立たないよう黒のTシャツとパンツなど、汚れてもいい、動きやすい服が心地よくなってきました。

休みの日は美術館に足を運んだり、夫婦でゴルフをするのが楽しみの一つです。ゴルフをやるのは初めてで、まだ楽しいところまで行き着いていませんが、2人で長く愛せるスポーツにしたいので、コーチを付けてがんばっています(笑)。

この先の目標は、夢がたくさんあった過去の自分が、好きでいられる自分でいること。かつてのシノラーが憧れる女性であり続けたい。10年後は、40代の私が憧れる50代になりたい。変化を恐れず、これからも好きなことに挑戦していきたいと思っています。

(東京都港区にある国際文化会館にて取材)

  • 10歳の頃、バレエの発表会にて。舞台に出る楽しさを知り、華やかな衣装の世界にも憧れた

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  • 高校生のころ。デザイン学科を専攻

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  • デザイン専攻の短大へ進学したころ。貴重な休日には洋服パターンの勉強

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  • 歌手としてライブ、テレビのレギュラー、女優業、ナレーションなど多忙な頃。衣装は自身のアイデアを取り入れアレンジしていた

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  • 30代後半、再び学校へ通い創作

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  • デザインした「OMO7(おもせぶん)大阪 by 星野リゾート」のスタッフユニフォーム

    デザインした「OMO7(おもせぶん)大阪 by 星野リゾート」のスタッフユニフォーム photo Takakazu Aoyama

  • 篠原 ともえさん

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