Ms Wendy

2021年7月掲載

貧しい少女時代、売れない日々… 大ヒット曲『ふたり酒』は両親の歌

川中 美幸さん/歌手

川中 美幸さん/歌手
1955年大阪府出身。中学2年のとき、作詞家・もず唱平にスカウトされ、73年、春日はるみの芸名で歌手デビュー。77年、川中美幸に改名し再デビュー。80年、『ふたり酒』が大ヒットし、翌年、NHK紅白歌合戦初出場。94年、第36回日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞。98年、『二輪草』が2枚目のミリオンセラーに。2006年には紅白で紅組のトリを務めた。21年2月、デビュー45周年記念曲『恋情歌』をリリースした。
飛び入り参加したのど自慢大会で優勝

父は三波春夫さん、母は美空ひばりさんの大ファンで、物心ついた頃から、演歌が絶えず家の中に流れていました。母もよく口ずさんでいて、見よう見まねで私も歌うように。それが演歌との出合いです。

そんなある日、小学3年のとき家族で遊びに行った東大阪市の石切ヘルスセンターで、『ちびっこのど自慢大会』に飛び入りで歌うことになりました。司会者の呼びかけに、父が「出ろ、出ろ」とけしかけたのです。人前で歌うのは恥ずかしくて、私は必死に抵抗しましたが、あの時代は学校の先生と父の言うことは絶対です。泣く泣く出て行き、都はるみさんの『馬鹿っちょ出船』を歌うとなぜか優勝。副賞に、電気鉛筆削り付き勉強机までいただいて、びっくりしました。

私が歌うことで、両親を幸せにしたい

当時、狭いアパートの貧乏暮らしで、私には勉強机がありませんでした。兄の机の下から2番目までの引き出ししか使わせてもらえなかった。ところが、たった3分歌っただけで豪華な勉強机がもらえて、父と母も大喜び!それで父は味をしめたのでしょう(笑)。関西で行われるのど自慢大会に、よく連れていかれました。

優勝すると、賞金に加えて、立派なステレオセット、8ミリビデオ、化粧品などが次々と運ばれてきます。ステレオは置き場所がなくて、スピーカーを縦に積んで使っていましたね。それをすごく喜んでくれる母の笑顔を見て、子ども心に「私が歌手になれば、もっと親を助けられる」と思うようになりました。

実は、うちの大黒柱は母。父はある事情がきっかけで身体を悪くし、代わりに母が人の倍以上働いて生活を支え、さらに父が背負った借金を返していたのです。そんな母の苦労を見ていて、「私がなんとかしなきゃ」と内心、焦っていました。

あんたは何をやっても成功する人だから

中学2年で、作詞家のもず唱平先生にスカウトされたときは、うれしかったですね。これで親を楽にさせてあげられる! 私の計算では、デビューしたらすぐに成功し、次の年には両親のために家を建てる予定でした。

中学卒業を待って、父と2人で大阪から上京し、東京の定時制高校に通いながら1年間の準備期間を経て、17歳で“春日はるみ”の芸名でデビュー。しかし、プロの世界は、甘いものではありませんでした。

同期には山口百恵さん、桜田淳子さん、アグネス・チャンさんがいるアイドル全盛時代。演歌を歌う私にはスポットが当たらず、翌月にはまた別のアイドルがデビューしていきます。「すごい歌手が出てきた!」とお祭り騒ぎだった人たちの目もほかに向き始め、周りの大人たちが信じられなくなり…丸2年で気持ちが折れ、大阪に戻ることにしました。

「歌だけが人生じゃない。あんたは何をやっても成功する人だから」と言って迎えてくれた母の言葉は、今もノートに残しています。その頃は、母がお好み焼き屋をやっていて、その店を手伝いながら身のふり方を考えることにしました。

川中美幸で再デビュー ついにつかんだ大ヒット

「今のお店でもうけて、将来、自分たちのお店を持ちたい」という新しい夢ができた頃のこと。デビューのきっかけをつくってくださったもず唱平先生から、「大阪で『ネオン街音楽祭』という大会がある。もう1回やってみないか?」とお話をいただきました。

私自身は、二度と芸能界に戻るつもりはなかった。それでも熱心に誘っていただき、母にも背中を押されてチャレンジしたのが19歳です。約650人の応募者のなかから最終的にグランプリをいただき、再びデビューの切符を手にしました。

今回は「25歳まで。ダメなら大阪に帰る」という期限付き。21歳で“川中美幸”として再デビュー。その頃はロングドレスにダウンヘア、色気がないと言われて髪の毛をかき上げながら大人の歌を歌っていました。ですが3年経ってもヒットには恵まれず、5作目となる『ふたり酒』をもらったときは24歳になっていました。

しかし、男の口調で「生きてゆくのがつらい日はおまえと酒があればいい」なんて、しみじみした夫婦の歌でしたから、これは売れないな、もう最後だと(笑)。気持ちも乗っていませんでしたね。

ところが、母に電話で聴かせると、電話の向こうで泣いているのです。そのとき、これはうちの両親の歌だと思いました。苦労してきた母へ想いを寄せ、ささやくように歌うと、だんだんヒットの手ごたえを感じるように。結果的に、川中美幸の代表作となりました。

それまでの私は「聴いてください!」と声を張り上げていたのです。野球のピッチャーなら160キロぐらい出ていました(笑)。でも、力いっぱい歌うと聴くほうもしんどいんですね。『ふたり酒』から歌い方を変え、「何曲聴いても肩が凝らない」と言っていただけるようになりました。

32歳で家を建て、34歳で結婚!

『ふたり酒』から何年か経って、念願の家も建てることができました。都心からは少し離れますが、緑が豊かで空気のいいところ。小さな庭も取れたので「自分が育てた梅で、梅干しをつくってみたい」と言っていた父の夢を叶えてあげようと、梅の木も植樹しました。春に両親を呼び寄せ、その年の暮れに父は他界しましたが、間に合ってよかったと思いましたね。今もその梅を見るたびに「楽しみやなあ」と言っていた父のうれしそうな顔が浮かんできます。

結婚は34歳のときです。30歳を目前に「私、このまま仕事だけ続けていいのかな?」と考えたことはありました。そのときは何も言わなかった母から、35歳が近づいた頃、「あんたが女性として幸せになってくれるのが、一番の親孝行やで」と言われてドキッとしたのがきっかけです。

「お金持ちじゃなくてええねん。定期的にお給料を持って帰ってくれたら。たとえば、あんたの仕事を理解してくれるディレクターとかな」と言う母の予言(?)が的中。本当にディレクターと結婚しました。コンサートの仕事で一緒に中国へ行ったとき、母とも仲良くなったのが決め手になり、とんとん拍子で結婚。今年でちょうど30周年になります。

人の手を借りないと1人では生きていけない

私の人生を支え続けてくれた母は、4年前、92歳で他界しました。身体が弱ってからは、自宅で介護もしました。母の隣に自分のベッドを置いて、いつも話しかけ、一言一句、聞き逃さないように日記に書き留めました。

「病気をしたらつまらん。健康が財産やで」「体に気をつけて、自分の人生を生きや」「人は、お願いするときだけじゃなく、日頃のお付き合いで情が生まれるんやから、大事にしいや」

それを時折見ては、自分を勇気づけています。最近は、こういうとき、お母ちゃんだったらどうするだろう? とよく考えます。すると、「くよくよ考えたってしゃあないやん」という声が聞こえてくる。いつもそばにいてくれているんだなあと感じます。私にとって、母の生き様すべてが遺言です。

母を見送って思ったのは「人は人の手を借りないと、1人では生きていけない」ということ。元気印で何でも自分でやっていた母でさえ、私が手を添えないといけなくなりました。自分もいずれそういうときがくるでしょう。人に迷惑をかけたくないと思っても、思うようにはならないかもしれません。年を重ねるのはみんな一緒。だからこそ、悔いを残さないように、まわりの人を大切にしながら今を生きることが大事だと思うのです。

心が癒やされると歌声が優しくなる

本来は明るい性格ですが、昨年来のコロナ禍では、長い間ステージに立てないことや歌えないことで落ち込みました。今も不安はあります。でも、最初は何もないところからスタートしたのです。「人生なるようにしかならない」「健康な身体があったら大丈夫」と思うようになりました。

ステイホーム中は、断捨離するのは今だなと思いついて、クローゼットを整理し、段ボール10箱ぐらいの衣装を寄付させていただいたり、マスクをたくさんつくってみなさんにお配りしたり。犬を散歩させながら、きれいな桜並木や藤棚、すてきな公園の緑を見つけては幸せな気持ちになりました。すると、穏やかになり、何でも許せてしまうんですね。ストレス社会にあって、ポーンと気持ちが切り替えられる風を感じるって、とても大事なことだと思います。

元気を保つ秘訣(ひけつ)は人に会うことだと思いますが、それができない今は、自分の気持ちがアガることを見つけるのもいいでしょう。私はミニチュアのフィギュアが好きで、犬や猫の小さな置物を並べ替えるのも小さな楽しみです。一つ一つ手の平に乗せ、「かわいい!」と言っていると、自然に口角が上がっていて、ふと鏡に映る自分を見てまた笑顔が出ます。

そんなときに歌うと、自分の歌声がやさしくなっている気がします。私が癒やされた分、今度はみなさんを癒やして差し上げたいですね。

(都内にて取材)

  • 母と12歳の頃

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  • 18歳の頃。春日はるみとして活動していた時

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  • 川中美幸デビュー曲のレコーディング中

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  •  『ふたり酒』の浅草キャンペーン

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  • 2019年、玉村町文化センター(群馬県)『テイチクレインボーコンサート』にて

    2019年、玉村町文化センター(群馬県)『テイチクレインボーコンサート』にて

  • マスク作り

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  • 愛犬たちと散歩

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  • 川中 美幸さん

(無断転載禁ず)

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