Ms Wendy

2021年4月掲載

『迷い道』〜現在・過去・未来♪〜 ノーベル賞に続く!?

渡辺 真知子さん/シンガーソングライター

渡辺 真知子さん/シンガーソングライター
1956年神奈川県出身。高校時代に『ヤマハポピュラーソングコンテスト』で審査員特別賞を受賞。洗足学園短期大学音楽科(当時)を卒業後、77年に『迷い道』でデビュー。『かもめが翔んだ日』で日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。『ブルー』『唇よ、熱く君を語れ』など日本のポップス・シーンに残る数々のヒット曲を送り出した。パワフルで圧倒的な歌唱力は今なお健在。コンサートではオリジナルのほか、ジャズ、ラテンなどのスタンダードナンバーを歌い上げている。
言葉より先にハミングしていた

私は神奈川県横須賀市の出身です。両親と兄、音楽好きな家族の中で育ちました。親に言わせると「生まれて半年でハミングしていた」そうで、逆に話すのは遅かったようです。

ところが、幼稚園の入園が近づいたとき、せきを切ったようにしゃべり出して、父が「ぶっ壊れラジオ」というニックネームをつけたぐらい、今度はおしゃべりが止まらなくなりました。その頃から、座布団を重ね、ステージに見立てて、母や近所のおばさんたちの前で歌っていました。

特に気に入っていた曲が、仲宗根美樹さんの『川は流れる』です。家の庭の池にししおどしがあり、水の流れる音とともに、時々「カポーン」という音が聞こえて、歌っているとなぜか涙があふれてくるのです。歌詞の意味もわからないのに不思議ですが、それが幼心に気持ちよくて、1日1回はそこで1人で歌っていたのを覚えています。

小学校4年生か5年生のとき、廊下を歩いていると、どこからか「歌を歌うようになるね」と声が聞こえて、「え?歌?」という瞬間がありました。学校帰りに友達のリクエストで歌っていると、「上手!大きくなったら絶対歌手になるよ!」と言われたこともあり、自分の中でも歌手への夢がふくらんでいきました。

初めてのポプコンで審査員特別賞!

夢が現実味を帯び始めたのは、高校生のときです。誘われてフォークソングのサークルに入り、兄のギターを借りて、自分で曲作りを始めたのです。オリジナルを作り始めたのには理由があります。私は歌うことが一番でしたから、最初は『人形の家』などが好きで歌っていました。でも、自分の声質や音域にはしっくりきません。もちろんそれは、プロの作詞・作曲家が弘田三枝子さんの声に合わせて作っているからです。無名のアマチュアに曲を書いてくれる人は誰もいません。だったら自分で作るしかないと思ったのです。ヒントになったのは、1974年に大ヒットした、当時高校生の小坂明子さんの『あなた』でした。

最初は女性デュオで、ハーモニーのある柔らかい曲を作っていました。ただ、私の声の太さ、大きさのインパクトが強すぎて、いくら小さい声で歌ってもバランスが取れない(笑)。まわりからも「ソロが合っている」と言われるようになった頃、友達が私の曲をオーディションに応募してくれ、「力試しに行ってみたら」と背中を押されて出て行ったのが、『ヤマハポピュラーソングコンテスト』です。『オルゴールの恋唄』という曲で、審査員特別賞をいただきました。

ポプコンの影響か、その後の学園祭で私が歌うと、よその高校からも人が集まり、体育館が生徒でいっぱいに。私が通っていた高校は芸能活動禁止でしたから、先生方をずいぶん困らせてしまいました。しかし、「若い才能の芽を摘むわけにはいかない」と大人の同伴者を立ててならと例外的に認めていただき、ポプコンにも連続出場することができました。

デビュー曲『迷い道』がノーベル賞のヒントに!?

当時、レコード会社から「デビューしないか」という話もいただきましたが、短大を卒業するまではアマチュア生活を続けました。自分で曲作りをしながら、洗足学園の音楽科に進んでクラシックを学び、地元・横須賀のロックバンドにボーカルで参加するなど、さまざまな音楽ジャンルを身体に取り込んでいきました。

その後のデビュー曲『迷い道』は、苦労の末に生まれました。ディレクターからダメ出しを受け、全部で16回、横須賀から東京・市ヶ谷まで通ったのです。最後は半泣きでした(笑)。しかし、努力の甲斐あって1曲目がヒットし、続く2曲目の『かもめが翔んだ日』もヒット。レコード会社の幹部の方に、2作やってみて、売れなければ別の道もあるから」と言われていたのがウソのように、目が回るほどの忙しさになりました。

昨年、ある番組でノーベル化学賞を受賞された吉野彰さんにお目にかかる機会があり、その時に『迷い道』に関するエピソードをお聞きしました。曲の歌い出し「現在・過去・未来~♪」を耳にした吉野さんは「なぜ、過去・現在・未来ではないのか?」と疑問に思ったそうです。未来を見た研究題材で進めていましたが、行き詰まったところで『迷い道』が流れて、歌詞のとおり戻ってみると電池に目が留まり、「そうか!まず現在から過去を振り返り、それから未来を予測することが大切なんだ!」と、電池の研究をすることにしたのだとか。この歌が、リチウムイオン電池の研究をするヒントになり、40年後に吉野彰さんがノーベル化学賞を取られるとは想像もつかないことです。驚きのあまりひっくり返りそうでした。

音楽シーンが変わり自分だけ取り残されて

20代前半でヒットソングを連発し、いきなり山のてっぺんに登り始めましたが、その数年後にバンドブームが訪れ、壁にぶつかりました。自分がやりたいことはたくさんある。曲も書けると言っているのにレコードが出ない。スケジュールもどんどん空いてきて、自分だけが取り残されたように感じてひどく落ち込みました。むしろ売れなければ、これほど寂しい思いをすることもなかったのに…。でも、まだ30歳手前。“結婚”の文字もちらつきましたが、音楽というライフワークに出会った私にとって、それは逃げにも思えました。

それでも一旦音楽と距離を取ろうと、親戚のいるアメリカ・アリゾナへ行くことに。小学校の放課後の時間に開かれている語学スクールに通いました。ある日、イースターのパーティーで、私が日本のシンガーだと知った人から「歌を聴いてみたい」と言われ、弾き語りで『We Are The World』を歌うと、「次はオリジナルソングを」と言われて『かもめが翔んだ日』を歌ったのです。すると、スタンディングオベーションが起こり「ビューティフルボイス!」「エクセレント!」と一人一人が感動を伝えてくれて、私にはやっぱり歌しかない!と再確認しました。

30代はジャズ、ラテンに目覚めた!

私はずっとオリジナルを歌ってきましたが、実は、デビュー当時から「その声はジャズも似合うぞ。一緒にやらないか?」と声をかけてくださる方がいました。扉を開いてくださったのは、今は亡き、「東京ユニオン」の高橋達也さんです。

30代に入った頃からジャズのスタンダードナンバーも始めてみると、今度は「この明るい性格はラテンのリズムにも合う!」と言ってくださる方もいて、ジャンルを超えた多様な音楽と出会うようになりました。

ジャズピアニストの前田憲男さん、島健さん、「熱帯JAZZ楽団」のカルロス菅野さんら巨匠と呼ばれるミュージシャンとの交流が始まり、30代はもう無我夢中。ジャズは生き物であり、雨が降っているとき、お客さんが多いとき、少ないとき、ライブハウスの大きさで毎回違うものだと教えられました。そこに歌がフィットする感覚を自然に備えるまでは、イメージする歌までほど遠く(笑)。それまで持っていたものをすべて捨てて、一から始めた30代はまさに勉強のシーズンでした。

40代からやっと自由に歌えるように

シンガーとして、静から動まで緩急自在に表現が広がり、40代でようやくいろいろな音楽が自由に歌えるようになってきました。

40歳を過ぎて、ブラジルやキューバの「日本人移民百年祭」の公演に呼ばれたときのことです。「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」にも参加していたキューバの著名な歌手、オマーラ・ポルトゥオンドさんの歌声を聴いたとき、涙が止まりませんでした。彼女は当時60代後半。年齢や経験を重ねた声のキャパシティーに圧倒され、これからの自分の目標も見えてきました。

ラテンを歌うようになってからは、声量もさらにボリュームアップ。特に「熱帯JAZZ楽団」は、パーカッションとホーンセクションの音量がすさまじくて、まるでBig Zoo。私も本番前は鏡の前でライオンのように吠えて自分の殻を壊し、体操もして、身体を思い切り熱くして挑みました。アイドリングはもう大変(笑)。

芸能生活40年を超え、近年は、チェロ、尺八、ピアノで構成された「KOBUDO‐古武道‐」のコンサートにもゲスト参加しています。今後もジャンルを問わず、いろんな人たちと交流していきたい。そして、ステージのメンバーとお客さまをつなぐパイプ役となって、音楽で会場を一つに。歌の力を届けたいですね!

ビッグなチワワたちに心癒やされて

コロナ禍でコンサートもほとんど中止になってしまい、自宅で過ごす時間が増えましたが、犬の散歩だけは毎日続けています。今、飼っているのはチワワの「キング」と「コング」。ともにオスの2歳です。先に「キング」、あとから「コング」がわが家にやってきました。

子犬の頃は小さくてかわいかったのですが、すくすく成長し、体重はなんと5.3キロと5.8キロに。こんなはずじゃなかったというくらい大きくなりました。散歩から帰ると、片腕で抱えて足を洗うのがひと苦労。おかげで、私の腕も左側だけ筋肉が付き、一回り大きくなってしまいました。

けれども、彼らの存在は心がふさぎがちな日々が続く中で、やはり癒やしになります。気兼ねなく出かけられるようになったら、外で思いっきり運動して、みんなでダイエットです(笑)。

(東京都内にて取材)

  • 3歳のころ。親戚が飼っていた犬、コロと

    3歳のころ。親戚が飼っていた犬、コロと

  • 10代のころ。ポプコン出場時

    10代のころ。ポプコン出場時

  • 高校生のとき

    高校生のとき

  • 20代のころ。デビュー時

    20代のころ。デビュー時

  • 30歳のころ。アメリカのアリゾナにて

    30歳のころ。アメリカのアリゾナにて

  • 2019年10月26日に東京国際フォーラムで開かれた『渡辺真知子コンサート2019〜現在 過去 未来〜』

    2019年10月26日に東京国際フォーラムで開かれた『渡辺真知子コンサート2019〜現在 過去 未来〜』

  • チワワの「キング」(右)と「コング」

    チワワの「キング」(右)と「コング」

  • 渡辺 真知子さん

(無断転載禁ず)

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