Ms Wendy

2020年10月掲載

ストックホルムを飛び出し、東京へ ホームレスも経験した下積み時代

LiLiCoさん/映画コメンテーター・タレント

LiLiCoさん/映画コメンテーター・タレント
1970年生まれ、スウェーデン・ストックホルム出身。スウェーデン人の父、日本人の母を持つハーフ。88年、18歳で来日し、89年歌手デビュー。2001年、30歳で『王様のブランチ』にて映画コメンテーターレギュラーになる。そのほか、女優、ナレーター、声優、プロレスラー、エッセイ執筆など幅広く活躍している。17年、小田井涼平さん(純烈)と入籍、翌年発表。
小さな家族だからこそ問題が大きくなった

スウェーデンで生まれ育った私が、アイドルになることを夢見て来日したのは、18歳のとき。それから30年余り、今では日本での生活のほうがはるかに長くなりましたが、私という人間をつくったルーツはやはりスウェーデンにあります。

スウェーデンでは、幼いときから「個性とは何か」を考えさせるのが教育の基本です。自分にはどんな色の服が似合うのか、太って見えるのはどんな形かなど、自分を着飾るセンスから、自分は何ができるか、だったら何を選ぶべきかといった生きるセンスまで、客観的に自分を見つめることで「自分らしさを保つ」習慣は、この頃、養われたと思います。

ですが、家庭の中では自分を保つのが難しいこともありました。日本人の母とスウェーデン人の父が愛し合って私が生まれたわけですが、物心つく頃には両親の仲が悪く、よそよそしい雰囲気の中、両親の顔色をうかがっていました。「私たちの小さな家族」と父がよく言っていましたが、親戚が少なく、兄弟もいない。たった3人で悩みを分け合うからこそ、1人が抱える問題が大きくなってしまうのです。

さらに私が九歳のとき弟が生まれ、父は家から出て行きました。母が働いていたので、面倒を見るのは私です。弟は病弱で、病院に運ばれることも多かった。12歳にして弟の世話に疲れ、授業中、救急車のサイレンが聞こえるたびにお腹が痛くなるほど神経質になっていました。雨に向かって、「なんで私だけこうなんだ!」と叫んだことを思い出します。

プライドが高かった母。ただハグされたかった

子どもって、ただ親にハグされたいだけなのです。でも、母にとっては難しいことだったようです。おそらく、それは日本のとても優秀な学校を卒業したことに起因しています。当時の日本では、いい大学を出ても、就職したら女子の仕事はお茶くみがメイン。母にはそれが許せなくて、日本を出て自分の居場所を探そうとヨーロッパを旅して、スウェーデンに行き着いたのです。

そこで母はどんどん強くなっていきました。世界と比較しても平等意識の高い国で、一流企業に就職し、バリバリ働いて、外国人と結婚し、子どもまで産んで…。そのことを誇りに思って、私にいろいろなことを教えてくれたなら「お母さんは何でもできてすてきだな」と思えたでしょう。

しかし、母は自分よりできない人間を見下すようなところがありました。自分の子どもでも、勉強ができなければ突き放す。亡くなってもう何年もたちますが、今も母のすべてを理解することはできません。

一つ、感謝しているのは、お金の価値観を教えてくれたことです。私、一度もお小遣いをもらったことがないのです。弟の面倒をみる、花に水をあげる、庭の落ち葉を拾い集める…。家の仕事をすると、1クローネ(当時日本円で100円ぐらい)渡されます。一生懸命働いて、1カ月300〜500クローネぐらい稼いでいました。

そのおかげで、中途半端に仕事をしないことも覚えました。「お金をいただくからには、100%全力投球する」のが今でも私のモットーで、名前だけ貸すようなブランドの仕事などは、絶対にやらないと決めています

スターになるまではスウェーデンに帰らない

家にいても心が休まらない、勉強もあまり好きでなかった私は、音楽とアイドルにのめり込んでいきました。その頃、とても楽しみにしていたのが、日本の祖母から送られてくるアイドル雑誌です。

日本語は読めなかったけれど、日本に行けば私もフリフリの衣装を着て、アイドル歌手になれるかもしれない!と、高校を中退して祖母のいる東京都葛飾区へやってきました。「スターになるまで絶対にスウェーデンには帰ってくるもんか」と思いながら。

日本では、異国からやってきた孫を祖母があたたかく迎えてくれました。80歳を過ぎても元気な人で、日本語がまったくわからない私に言葉のシャワーをかけてくれました。テレビを見ていて、祖母が笑うと「今のは面白いんだな」という感じで、まねしていくうちに、数カ月後には、カタコトの日本語を話せるようになりました。その後、お弁当屋さんでアルバイトをしていたときに知り合ったおばちゃんたちと、ため口で話せるまでに成長します(笑)。

あとはデビューのきっかけを探すだけです。日本にきて1年後、いくつかオーディションを経て、歌の個人レッスンを受けていたプロの先生から、ついに歌手として初仕事を紹介されました。

プロ歌手としてデビューしたものの

忘れもしない、1989年5月2日、浜松のデパート屋上にあるビアガーデンで歌手としてデビューしました。本格的に浜松でがんばろうと事務所に所属し、先輩の付き人をしながらステージに立つ毎日が始まると、時間がたつのはあっという間。夢中で過ごすうちに20歳の誕生日を迎えました。

しかし、仕事がなくなり、お金がなくなり、部屋を借りることもできず、ホームレスになって車中生活をすることに。当時の様子は、『ザリガニとひまわり』(講談社)に詳しく書きましたが、マネージャーの守さんと2人、昼間は東京でテレビ局などへの売り込み、夜は浜松・名古屋でスナックや健康ランドで歌わせてもらい、住まいの定まらない車中生活は5年にもおよびました。

その間、念願のCDデビューもしましたが、転機になったのは、TV版『サウスパーク』の吹き替えをやらせてもらったことです。そのとき、雑誌のインタビューを受けて、好きな映画についてお話したところ、それを読んだスタッフから「『王様のブランチ』の映画コーナーでコメンテーターをやりませんか?」と声をかけてもらったのです。

来日して12年。「スターになるまで絶対にあきらめない」と誓った私は、30歳になっていました。そこから仕事が軌道に乗るまでにさらに10年、たくさんの人のお世話になり、チャンスをいただき、長い長い道のりだったけど、合計22年かかって、今のリリコがいます。

地球の反対側まで会いに行きたい家族

その後のテレビでの活動は、みなさんもご存じかもしれません。今、私は、映画コメンテーターとして、タレントとして、さまざまな仕事をさせていただいています。バラエティ番組やラジオ番組など、生放送のレギュラーだけで週3本。そのほかにも、いくつかの連載を抱えるライター、声優、ナレーター、プロレスラー、ジュエリーデザイナーとしての顔を持ち、北欧雑貨を扱うネットショップ「LiLiCoCo」を経営するビジネスウーマンでもあります。

スウェーデンにいる父とは何年も会わなかったけれど、母が亡くなってから父との関係もよくなり、ちょっと無理をしてでも地球の反対側まで会いに行くことが増えました。きっかけをくれたのは、父の現在のパートナー、ブリットです。

日本での仕事が忙しくなり、スウェーデンに帰るには番組を絡めたロケにするしかなく、カメラを何台も連れて帰っていたのですが、あるとき、ブリットに「リリコが歩くとカメラがいつもついてくるの?」と怒られてしまいました。彼女はタレントのリリコではなく、素の私に会いたかったのです。言われてみれば、たしかにあれは私じゃない。父も内心、感じていたはずですが、産みの母ではない彼女が本気で言ってくれて、それから人生が変わりました。

一昨年のクリスマス、2日間だけ休みを取ってスウェーデンに帰りました。イブを家族で過ごしたのは実に30年ぶり!病弱だった弟は大学教授になり、2児の父親に。この日ばかりは本名のアンソフィーに戻って、みんなとハグをして、プレゼント交換をして。滞在したのはたった20時間でしたが、それだけの価値はありました。

自分を幸せにするのは自分しかいない

仕事一筋ではなく、結婚もしました。相手は歌謡コーラス・グループ「純烈」のメンバー、小田井涼平です。お互い47歳の晩婚でしたが、大人同士だからこその充足感、幸福感を味わっています。

先日、転倒して膝を骨折し、彼が身の回りのサポートをしてくれて、本当にありがたかった。まわりからも「すてきな旦那さんでよかったね」と言われます。ただ、私は夫と出会う前から幸せでした。自分の人生を幸せにするのは、あくまでも自分自身。日本人が思う「結婚したから幸せ」というのとは、ちょっと違います。

もちろん、新しい家族が増えた喜びは大きいです。新しいお父さんとお母さん、妹夫婦、2人のおいっ子、覚えないといけない誕生日が急に増えました(笑)。小さな家族だった私が、大家族の一員に!まだみんなに会えてはいませんが、近い将来、一族で全員集合できる日が待ち遠しいです。

今は「未来の私のために」というテーマで生きています。秒単位でコメントを求められる芸能生活が長く続き、時間の大切さは誰より感じています。普段も段取りよく物事をこなし、明日の仕事を今日こなして、空いた時間に人と会って、またやりたかった仕事につなげる。そうしてがんばったら「よくやったね」とハグしてくれる家族がいることに、心から感謝しています。

(都内にて取材)

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  • LiLiCoさん

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