女優から、画家へ。そして運命の出会い 観る者の心を震わす大作に挑む
- 蜷川 有紀さん/画家・女優
- 1960年横浜市生まれ。78年、つかこうへい版『サロメ』にて、主役に選ばれ女優デビュー。映画『狂った果実』でヨコハマ映画祭新人賞受賞。映画『ひめゆりの塔』、TV『鬼龍院花子の生涯』、舞台『仮名手本忠臣蔵』など出演作多数。2005年より女優業を休業。絵画制作をはじめる。08年個展『薔薇めくとき』で情報文化学会・芸術大賞受賞。17年ダンテ『神曲』をテーマにした大作を発表。16年大正大学客員教授に就任。18年に猪瀬直樹氏との共著『ここから始まる 人生100年時代の男と女』(集英社)を刊行。
詩人の父の書斎で本に熱中
生まれたのは静かな横浜の街。父は詩人(水野陽美氏)でした。母が父にはじめて出会ったとき、日比谷公会堂の階段を降りてくる父の姿を見て「ギリシャ神話のアポロンが降りてきた」と思ったそうです。太陽のように明るく心豊かな人でした。両親、妹と家族そろって桜を眺めながら、横浜の丘を散歩した思い出があります。
子どものころは、喘息でしたので自分ではおとなしい「小公女」のイメージでしたが、オデコにバンソウコウを貼って走っている写真も残っていて。母に聞いたら「あなた、とっても元気な子だったわよ」と言われました (笑)。
そして本が大好きでした。いつも「ご本、ご本」と言って、父の書棚の一番下に作ってもらった私のスペースから本を出してはしまい、出してはしまうのが、私の大好きな遊び。友達と遊んでいても、ひとたび本を読み出すと止まらなくなってしまって。いまも幼なじみの友人と会うと、そんな思い出話になるのですよ。
「自由に描く」ことを学んだ
先日小学校1年の時の通信簿が出てきたのですが、「絵がとても上手です」と書いてありました。幼少から母に美術館に連れて行ってもらい多くの名画に触れていたこともあって、絵は心の底から好きでした。
エチオピアに永住しケニアで亡くなった洋画家の伯父(水野富美夫氏)がまだ日本にいるころ、父が私に絵を習わせようと頼んだら、伯父は「絵なんて習うものじゃない!」と言い放ったそうです。その言葉の意味は、深く私の心に刻まれました。技術を超えたなにかが表現だと。
中学時代の美術の先生も素晴らしい方でした。白いキャンバスに真っ白い絵の具で抽象画を描かれていました。授業では「割れている壺。建物の影。叫んでいる人を入れて絵を構成しよう」と、イメージを膨らませて描かせました。「自由に描く」こと、それはかけがえのないことだと教わりました。
叔父・蜷川幸雄の舞台に感動
早く亡くなった父の代わりに、母方の叔父たちは私と妹をとてもかわいがってくれました。
その一人が、演出家の蜷川幸雄です。若くてハンサムで刺激的な存在でした。私の初恋の人です。いつも「メメ」と呼んで慕っていました。幼いころ私が2階にある叔父の部屋へ続く階段を登ろうとすると、上から「メッメッ、危ないから登ってきちゃダメ」とよく叱られていたので、そう呼ぶようになりました。大人になっても「メメ」と呼び続けました。3年前に亡くなるときまでずっと。
物心つくころからずっと叔父の芝居を見続けてきました。はじめてみたのは、ジャリの『ユビュ王』です。叔父が「ユビュおっかあ」を演じていました。それから叔父が演出したお芝居の数々を見て育ち、「女優になりたい」と夢を膨らませました。
女優デビュー。過酷な稽古に涙
そして17歳のとき。雑誌・セブンティーンに掲載されている、つかこうへい構成・演出ロックオペラ『サロメ』の主役公募の記事を見たのです。そこでオスカー・ワイルドの原作を読んで、「ぜひサロメを演じてみたい!」と思い応募しました。でも実は締め切りを少し過ぎていたのですが、送ってみるものね(笑)。3000人のなかから主役として選ばれ、女優としてデビューすることになったのです。
応募した名前は当時の本名・水野さつ子。選考後に蜷川幸雄の姪だと告げたところ、つかさんたちは大慌て。こうして憧れだった女優の道に踏み出したのですが、いざ稽古に入るとそれは過酷で、想像を超えたものでした。
台本はなく、つかさんが「田んぼの畦道をお前は、サロメのセリフを言いながらやってくる。そして、肥溜めに落っこちて、農夫に犯される。ハイやってみろ」という調子。「女優ってなんだろう?」と疑問でいっぱいになりました。新人女優としてはあまりにつらいスタートに、稽古場の片隅で泣きました。
以降女優としてさまざまな舞台に立ってきたのですが、私は本番より、稽古のほうが好きでした。稽古場の何もない空間、たった1冊の台本をもとに皆でゼロからなにかを創り上げていく作業は、至福の喜びです。孤独や不安、根拠のない自信、それがないまぜになって創造力を羽ばたかせる。最高の体験をたくさんしました。
自分のテーマを表現したい
30年近く順調に続けてきた女優の仕事。その仕事を休業したのは2005年のときでした。
きっかけは「あなたは人参を吊り下げられて歩くただのロバではない」という星占いの言葉。それを目にしてハッとしました。俳優は決められたテーマのなかで、与えられた役を生きるのが仕事。でも私は自分自身のテーマを表現したかった。「このままでは、死ぬときに後悔してしまう」という思いが募っていました。
画家として生きる決意をした私は、「笑われてもいい」という思いで作品を発表しました。その根底にあったのは、小学校のころの出来事です。授業で粘土の自画像を作ったのですが、あまりに集中してしまい他の子たちとはまったくちがう、とんでもなくユニークな作品をつくってしまったのです。同級生は指をさして大笑い。恥ずかしい思いでその作品を持って帰ると、母は「これは傑作よ!なんて素敵なの」とすごく褒めてくれたのです。
格好をつけなくていい。人に笑われたってかまわない。きちんとやろうとしたり、正しいことをしようとしなくてもいいんだ。そういうものの外にあるものが表現なのだと知りました。絵はエネルギー、魂を放出する行為なのだから。今に至るまでの、私の表現の基本になりました。
そんな思いの中で初めて開催した個展は、予想以上の反響でした。涙を流して感動してくれるお客さままでいらして、とてもうれしかったです。
演じる仕事を休業するときは悲しくて、それこそ片腕を切り落とすような覚悟をしたのですが、画を描きはじめたら肩甲骨から腕が1000本生えてきたような、圧倒的な幸せを感じました。
猪瀬さんとの出会い、結婚
こうして思いが溢れるままに大きな絵に向かうようになっていった私は、テーマとして長く取り組めるものを探していました。そんなとき蔵書で目に留まったのが、ダンテの『神曲』でした。ダンテが古代の詩人ウェルギリウスに案内され、地獄・煉獄・天国を巡るという壮大な叙事詩を、これから何年もかけて取り組む画のテーマにすることにしたのです。
その最初の「地獄篇」を描く過程でお会いしたのが、作家の猪瀬直樹さんでした。元々私は猪瀬さんの著作の大ファンでした。ぜひ作品のアドバイスを伺いたかった。
初対面で猪瀬さんから「ダンテは一神教ですよ。一神教にはタブーがあります。あなたにはタブーがありますか?それがわからなければダンテは描けないのでは?」と言われ、猪瀬さんならではの指摘だと感銘を受けました。
2度目にお会いしたとき、父の書いた詩論をお見せしました。猪瀬さんはすべて読み終えると、愛おしそうに父の原稿をなでてくださり「この人は本気で言葉で世界を変えられると信じた人なんだね」とおっしゃった。ここまで父を理解してくれた人はいなかった。感動と同時に、恋に落ちていました。
3年の婚約時代を経て、入籍したのは昨年末。生活で変わったことは、言葉できちっと説明するようになったことです。猪瀬さんは「おゆき坊(蜷川さんの愛称)、今日は何をしたの?何が楽しかった?」「今日の食事会の目的は?」と常に言葉での説明を求めてくるのです。ですから、ぼんやり生きていられなくって (笑)。
帰ると「えらいね。よく帰ってこられたね」と褒めてくれたり、忘れ物が多い私に「バッグを買ってあげるから、携帯はここに入れるんだよ」と世話を焼いてくれたり。私にとって、『神曲』のなかでダンテを導く“ウェルギリウス”のような存在なのです。
すばらしい人生のパートナーを得て、さらにクリエイティブに生活していきたいと思っています。
大作に1年半がかりで挑む
昨年、画家10周年を迎えました。今年はご縁のあった栃木県のヴィラ・デ・マリアージュ宇都宮内の教会地下にアトリエを移し、前作「地獄篇」につづく「煉獄篇」に取り掛かっています。1月には、宇都宮市長や地元の方々もお招きしてキックオフイベントを行いました。これから1年半かけて3メートル×6メートルの超大作に挑んでいきます。
地獄篇、今描いている煉獄篇、やがて手掛けるであろう天国篇。この3部作に序章も加えてすべてが完成すると、20メートルもの壮大な作品になる予定です。このテーマを描いていくことで、新たな時代を生き抜く勇気を養っていきたいのです。
AI(人工知能)が大きく台頭してくる近未来。あたかもルービックキューブがガクンと回るような、大きな時代の転換点を私たちはいま生きています。そんな激しい時代の波のなかで、この絵を描きながら「本当の人間とは何か?」という、本質的なことを考える機会を提示したいのです。
そして騒がしく情報が飛び交う昨今、皆が心を落ちつけて祈るような機会、磁場を作っていきたいとも考えています。人の心の奥底にあるものをつかんで、震えさせる。それが私の表現の目指すところですから。
美しく、優しく、そして楽しく−。描ける幸せをかみしめながら、これからも日々進んでいこうと思います。
(栃木県のヴィラ・デ・マリアージュ宇都宮にて取材)
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