Ms Wendy

2017年9月掲載

少女と大人、夢と現実が同居する不思議な存在「亜土ちゃん」

水森 亜土さん/イラストレーター・ジャズシンガー・女優

水森 亜土さん/イラストレーター・ジャズシンガー・女優
東京都日本橋出身。高校卒業後、透明のアクリルボードに歌いながら両手で絵を描く『歌のおねえさん』としてデビュー。かわいらしい猫や、キスをしている子どものイラストなどで人気を集める。『ひみつのアッコちゃん』『Dr.スランプ アラレちゃん』のアニメソングを歌ったことでも知られる。イラストレーター、ジャズシンガー、劇団未来劇場の看板女優など、さまざまな分野で幅広く活躍中。10月13日(金)〜22日(日)東京・新宿のギャラリー絵夢®にて「水森亜土展」を開催予定。
生粋の江戸っ子 遊び場は日本橋!

私が生まれたのは、日本橋のたもと。3代続いた生粋の江戸っ子で、今もそこに住んでいるのは当時のご近所ではうちだけ。今は妹夫婦が使っています。

父は建築家で遊び人でいい男。飲む・打つ・買うが激しくて、日曜日しか家に帰ってこないような人でした。祖父もそうだったらしく、「父親というのは、みんな通ってくるものだ」と思っていたくらい(笑)。祖母は元芸者さん、母は画家で、家は人の出入りが多く、近所の人が集まって、グレン・ミラーやビング・クロスビーのレコードに合わせて社交ダンスをするなど、にぎやかな家庭で育ちました。

私の遊び場は日本橋の欄干の外側。足を滑らせると川に落ちてしまうのですが、そこを歩きながら白墨でキリンやひまわりの絵を描くのが好きでした。母の話では、キリンの首を橋の向こうまで長く描いていたそうです。あるとき母に「橋の向こうのおまわりさんが、夜中にモップでキリンの絵を消していたよ」と言われて、描くのはやめました。

うちが川の淵に建っていたので、台所やお風呂場から釣り糸を垂らして釣りもしましたね。

左利きを矯正されストレスで吃音症に

今の私は明るく元気なイメージを持たれていると思いますが、小学生のころは赤面症で引っ込み思案。なぜなら、父親譲りの左利きを矯正されたとき、ストレスで吃音症になってしまったからです。

授業で「森さん(本名)」とさされると、真っ赤になって何も言えずに下を向いているような女の子でした。そのうち先生も私のことはささなくなって。その反動で、現在のようになったのかもしれません(笑)。

吃音が治ったきっかけはジャズです。近所にプロのミュージシャンが住んでいて、練習している様子を見ながらメロディーに合わせて、「ダバダバ」とか「ドゥビドゥビ」とか、意味のない言葉を歌うスキャットという歌唱法を楽しんでいるうちに、普通に話せるようになったのです。ジャズに目覚めたのもそのころです。

中学3年生のとき、ニッポン放送でロイ・ジェームスさんと丹下キヨ子さんが司会をしていた『キスミー・ジャズのど自慢』という番組に出たくて、何度もオーディションに行きました。でも、鐘は「カーン」とひとつ。「坊や、またおいで」と言われて終わりでした。

スケートの練習と料理学校の学生時代

そのころは、水道橋に近い中高一貫の女学校に通っていて、よく学校の帰りにローラースケートリンクに寄っていました。今の東京ドームがある場所です。

当時の私はヨーコさんというローラーゲーム選手のファン。ローラーゲームはプロレスのような格闘技性のある競技で、ヨーコさんは前を滑っている選手のポニーテールをむんずと引っ張っては、容赦なく追い抜いていくような力強さが魅力でした。それで、自分もヨーコさんのようになりたいと憧れ、秘かに練習していたのです。

でも、母は私におしとやかさを求めていたので、料理学校にも通っていました。ローラースケートは内緒です。そこで、学校近くのあんみつ屋さんにスケート靴と着替えを預け、あんみつを食べてからスケートの練習に行き、それから料理学校という生活でした。

美大受験に失敗しハワイのハイスクールへ

絵は小さいころから好きで、美術大学を受験。ところが、全部落ちてしまいました。実は、面接官が「あなたはどうしてこの学校を受けたの?」と聞く態度がすごく大きかったから、カチンときて「たまたま通りかかっただけです!」と言ってしまったのです。家に帰って「なんであんなこと言っちゃったの!」と泣いても手遅れでした。

高校の同級生はみんな大学に進むか、就職するか、結婚するかだったから、行くあてのない娘をふびんに思ったのでしょう。母が、友達でもあるハワイのモロカイ・ハイスクールの校長先生に手紙を書いて、高校を卒業したのに、またハイスクールに入ることに。

そこで女子寮に入ったのですが、明るいハワイにいながら私の青春は暗かった。まわりはみんな私より年下だったので、話の合う子がいなかったのです。

ハワイでは、人生で後にも先にも1回だけアルバイトをしました。広大なパイナップル畑で土をならす、1時間2ドルの仕事です。そこで赤土にまみれて、全身、鼻の穴まで真っ赤になって、それを洗い流すために近くのどぶ川に飛び込みました。すると近くの野良犬も飛び込んできて、毎日、一緒に泳いでいました。

さらに、小さいころから祖母によく銭湯に連れて行かれていた影響で、お風呂狂だった私は、どうしてもお風呂に入りたくて、女子寮の庭に穴を掘り、セメントで固めて自分専用のお風呂をつくったのです。寮からホースを引いてお湯をため、毎日お月様を見ながらお風呂に入っていました。そこに、毎晩のぞきにきたのがカエルです。「ジョン」と名付けました。結局、ハワイでできた友達は野良犬とカエルのジョンだけ。

無性にジャズが聴きたくて、部屋ではフランク・シナトラやアーサー・キットのLPレコードを手回しの蓄音機でかけていました。

あのイラストのきっかけは絵日記

「毎日、絵日記を書いて日本に送る」と、母と約束してハワイにきたので、日々絵を描く中で、みなさんもよくご存じの2頭身のイラストが生まれました。あれは、自画像です。

それからもうひとつ、8頭身のちょっとセクシーな女の子も描いています。モデルはたくさんいますが、原点は、高校生のころ、父に連れられて行った日劇ミュージックホールのダンサーたちです。父がレビューを見ている間、楽屋で若く美しいダンサーを観察して描いたものです。

お尻がプリッとして、手足の長いダンサーへの憧れが、あの絵につながったのです。

両手で描くスタイルは苦し紛れから始まった

ハワイから帰国した後、NHKの教育テレビ『たのしいきょうしつ』で歌のおねえさんとしてデビューしました。

そのオーディションで、「あなたの特技は何ですか?」と聞かれて、苦し紛れに「両手で絵が描けます!」と言ったのがきっかけで、歌いながら透明のアクリルボードに絵を描く、あのスタイルが生まれたのです。

1分40秒の間に1曲歌って、その間にイラストを完成させるコーナーだったのですが、そのころはまだ水性サインペンがなかったので、小さいマヨネーズの容器にインクを入れ、フェルトで栓をして、そこからインクが染み出るように容器を押しながら描いていました。

ボードも今のようなアクリルではなく、当時はガラスだったので、描くとインクがどんどん垂れてきてしまいます。ドライリハーサル→カメラリハーサル→本番と何回も描いているとガラスのお掃除が大変!ということで、ドライとカメリハはイラストを描く格好だけで、ぶっつけ本番で描いていました。

歌のおねえさんになる前、日本に帰ってすぐの20歳ぐらいのとき、実は「ロリポップ」という、タップを踏みながら歌う女の子3人のコーラスグループを結成したことがあります。しかし、デビュー目前にケンカ別れしてしまいました。

その後、『ひみつのアッコちゃん』『Dr.スランプ アラレちゃん』など、アニメのテーマソングを100曲以上レコーディングしましたが、今でも踊ることは大好き!ライブハウスでもよくスウィングしながら歌っています。

イラストレーター、ジャズシンガー、女優、本職はどれ?

今は、ジャズシンガーとして月2回ほどライブハウスに出演、劇団未来劇場の女優もやっているからか、「本職は何ですか?」と聞かれますが、本職は雀士!麻雀に命を懸けています。副職がジャズシンガーで、天職がイラストレーターで、お芝居は内職かな?

看板女優だから、看板ばかり描いているの(笑)。セリフを間違えるとみんなから氷のような視線が飛んでくるので、そうならないように厳しい稽古で鍛えています。

主宰(里吉しげみ氏)が主人なので、私は劇団お抱えのまかない係でもあります。若い劇団員が何十人もいるから、毎日ご飯をつくるのはけっこう大変。でも、おいしそうに食べている姿を見ると、今日もおなかをいっぱいにしてあげよう! と思います。みんな本当にかわいくていい子。私は帽子が好きで、100個以上持っていましたが、100個もかぶりきれないので、それも劇団の子にほとんどあげてしまいました。

絵を描くときは、いつもブルース

イラストを描くときは、いつもブルースをかけています。ブルースを聴きながら、筆をリズムに乗せて描くのが最高!

描く時間帯はほぼ夜中です。さっきも言いましたが、私はお風呂が大好き。自分がワニになった気分で、湯船から目だけ出して沈むのが好きなの(笑)。お風呂に入るときが一日で一番うれしいとき。だから1日3回、冬場は5回も入っちゃいます。そうすると血行がよくなって「やるぞ!」という気持ちになるのです。

それから赤ワインを開けて、ブルースをかけて、描き始める。それが夜中の1時くらい。朝、すずめがチュンチュン鳴き始めるころに寝るのが習慣です。

つい最近、すごく幸せだなと思ったのは、ずっと探していたスケッチブックが見つかったこと。ブルースの発祥の地、シカゴに行ったときのスケッチブックから、いろんな旅先で描いたスケッチブックまで、描きためたスケッチが山のようにあるのです。そこに大事な思い出がいっぱい詰まっているの。

そんなスケッチブックの一冊が、思わぬところから出てきてびっくりしました。本棚でもなく、麻雀の箱の間にはさまっていて(笑)。 こんな私ですが、これからもいろんな顔で、全力で人生を楽しみたいと思っています!

(東京・新宿のライブハウスにて取材)

  • 左から祖母、祖母に抱かれた私、お手伝いさん、母

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  • 愛され続けている2頭身の女の子のイラスト

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  • 歌のおねえさんをしていたころ

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  • 20代前半。自分で縫ったブラウスを着てタップの練習中

    20代前半。自分で縫ったブラウスを着てタップの練習中

  • 1988年、親子展で母と

    1988年、親子展で母と

  • 水森 亜土さん

(無断転載禁ず)

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